
先週に塩江から笠松山を歩いて山間部の線(トラック)が繋がり、今回いよいよラストウォークで、荘内半島の大浜から讃岐三崎灯台まで歩けば、3年前からスタートした引田鼻灯台から里山を歩きながらトラックを繋げる『線で繋げる里山歩き』が完歩となる。
西の奥様は前回の笠松山ですでに三崎灯台までは歩いていてトラックは繋がっているので、今回は私のお付き合いとなった。


大浜の漁港からは雲一つない青空の下、伊吹島の背にまだ雪をまとった法皇山系から石鎚山系の山並みが見渡せた。


前回のゴール地点から紫雲出山に登ってあとは三崎灯台までと単純に考えていたのに、西の奥様が前回一服山から下りた後、長坂登山口の向かいから尾根に登って、さらに115mの三角点を経て大浜に降りるつもりが、シダの藪の中で迷走して道を外してしまったのがどうにも悔いが残っているらしくて、その道を外した地点を確認したいと申されるので、仕方なくお付き合いすることになった。
大浜漁港から前回歩いた県道を戻り、鴨之越のバス停の手前から山の方へ下道を歩いて行くと、下調べした通りの場所に道の脇にテープが巻いてあった。
そのテープに従って斜面を山の中へと登って行くと、途中からやはりシダの中に入って行く。



シダの藪はなんとなく踏み跡があり、テープを見ながら歩いて行くと、前回行き止まりで引き返してしまった場所に出た。ここで斜面側にたしかにこのテープを見つけていたのだが引き返してしまった。
『このまま登っていれば迷うこともなかったのに』と奥様には納得していただけたようだ。

理由が分かれば次は115mの三角点へと、もと来た道を急斜面を戻って行く。
下道に降りると南から散歩中のおじいさんがやってきた。『おはようございます!』と声をかけるが返事がない。それもそうだ、朝から道でもない山の中から二人が飛び出してきたのだから怪しんでいたのだろう。
おじいさんが立ち去った後、向かいの斜面へと三角点に向かって登って行く。少し藪いた場所があったがこちらも所々に付けられたテープを目印に登って行く。



三角点は 四等三角点 鴨ノ越 115.33m
三角点を踏んだ後は大浜へと下って行く。尾根筋は意外と歩きやすく途中からは、車を停めた大浜の漁港が見下ろせた。



わが愛車が停まっているのが見える。

灌木のトンネルを潜りながら『楽しいね!』と言っていると、里に下りる手前で少し藪いてきた。ここでもテープを見ながら下って行くと、民家の上の畑に飛び出した。
畑は獣鳥の被害があるのかネットで囲われ、その中でおじいさんが作業をしていたので、『すみません、横を通らせてもらいます!』と一声かけて歩いて行く。


民家の間を歩いて行くと浦島郵便局の横に出た。郵便局の前を歩く奥様が『ひょっとしたら!』と言いながら歩いた先で『開いてます!』と言ったのが『そらとうみ』のパン屋さんだった。
人気のパン屋さんで、いつも早めにいかないと売り切れているお店で、さっそく二人で中に入り、美味しそうなパンを買い求めた。


とっても愛想のいい奥さん?と会話をして、店先で小ぶりなアンパンを二人で食べた後、紫雲出登山口へと大浜の街中を歩いて行く。
ひとこととイラストをブロックに書いた民家や、縁側のガラス戸に落書きのような絵を描いた古民家などを見ながら歩いていて、思わず微笑んでしまう楽しい街だ。



登山口には四国のみちの案内板。ここから紫雲出山を経て、三崎灯台まで四国のみちが続いているようだ。


畑の脇に日本語・英語・韓国語・中国語で歓迎の手書きの看板。その先では二人で話し込んでいた年配の女性からは『どちらへ?』と声を掛けられ、『紫雲出山』と答えると『がんばってね!』と明るく応えてくれた。
訪れる人にとにかく街をあげて歓迎している様子が伺える。

最終民家を過ぎ、廃ビニールハウスの横を通ると山の中の道になる。四国のみちで整備された道だが、この季節は落ち葉に埋もれた道になる。


大浜登山口から45分ほどで車道に出た。ここからしばらくは車道歩き。ガードレールの下に今シーズン初めてのスミレが咲いていた。


車道の終点が紫雲出山駐車場。第二駐車場の東屋展望台からは粟島をはじめとする瀬戸内の島々。そして三豊の街や里山や海が見渡せた。
今日は最高の青空の下、ずいぶん遠くまで見渡せる。



『あっ、ここからも大浜の漁港に停めた、わが愛車が見える!』

駐車場には数台車が停まっているだけで人影もない山頂目指して歩いて行く。
あと半月もすれば、桜を目当てに大勢の観光客が訪れる事だろう。
展望台の手前の会枡の中にある 二等三角点 紫雲出山 352.14m

展望台からは最終目的地の三崎灯台が、岬の先で白い頭を出しているのが見えた。

展望台の下の桜並木の中では、発掘調査のため立ち入り禁止のロープが張られ、その奥で穴の中で土を掘りだしている人がいた。この山頂近くで弥生時代からの遺跡があるのは全国的にも珍しいそうだ。


桜並木が終わると丸太で造られた階段がずっと続いて行く。階段は段差があり、固い丸太の上に足を置きながら降りて行くのだが、調子のよくない膝にズンズンと響いて痛い。


その階段が終わると四国のみちの道標の先から、今度はコンクリートの道になる。
そのコンクリートの道は箱峠まで続いていたが、途中で『このコンクリートをどうやって運んだのかな?』と奥様と二人で話をする。箱峠まではまだ500mほどあり、当然ミキサー車は箱峠に停めていただろうから、その距離を人が押車で運ぶのは無理だろうという事でその答えは分からなかった・・・・。


箱峠の手前の2体のお地蔵さんに手を合わせ車道に降り立つと、峠から少し北に下った場所からまた四国のみちが始まった。ここまでが『紫雲出山ロマンの道』、ここからは『岬めぐりの道』となるようだ。


箱峠からの四国のみちもコンクリートの道になっていた。さすが国の主導で造られただけのことはあるが、今は落ち葉に埋もれていた。


紫雲出山からこの岬の四国のみちはまだマシな方で、以前読んだ徳島新聞の記事では、徳島県内にある24ルートの内、2ルートが通行止め、2ルートが通行困難で、他にも荒廃の激しいルートがあるという。
整備はしたものの永年メンテナンスする難しさは、四国のみちだけには限らない。


落ち葉を踏みしめ下って行くと生里の集落にでた。生里はあの浦島太郎が生まれた場所、そして箱峠の北側の箱の集落は、浦島太郎が玉手箱を開けてしまった場所という伝説の残る集落だ。
坂道の両側の民家は石積みの上に建てられ、焼杉の壁と瓦屋根がとてもいい雰囲気を醸し出していた。
そんな民家の間を通って行くと、仁老浜に出た。


仁老浜は浦島太郎の母の生家があった浜で、玉手箱を開けて老爺となった浦島太郎が余生を送った浜だそうだ。
そんな伝説を知って、底まで見える透明な海を眺めていると、なるほどのんびり余生を送るのには良い場所だと思ってしまう。

ここから三崎灯台まではまだ1時間ほどかかるコースタイムになっていたので、ここでお昼ご飯にする。波静かな砂浜を眺めながらカップ麺を食べた後、ザックの中を片付けていると、不意に足元のテトラポットの下に行動食のチョコレートを落としてしまった。テトラポットの間を潜りながら砂浜に落ちたチョコレートをなんとか拾い上げる。これが私の玉手箱!。


仁老浜の先はキャンプ場になっていて、竜宮城を模したきれいなトイレが建っていた。その横からまた四国のみちへと入って行くと、道の途中からはいつも見る山容とは違った姿の紫雲出山が見えた。


キャンプ場から少し登坂になった後は緩やかに続く道。道の真ん中に遠くから見るとお地蔵さんに見えたのは、道行く人が積んだケルンだった。

途中にあった三崎神社をお参りした後は、いよいよ三崎灯台だ。瀬戸内の沿岸部ではよく見られるウバメガシに囲まれ、その小さな葉の積もる道が続いていく。



四国のみちの終点に三崎灯台があった。灯台は普通丸いイメージがあったが、ここの灯台は四角い形をしていた。
白いタイルの張られた外壁は汚れることなく明るい日差しを浴びてきれいに輝いていた。



灯台からさらに下に下って行くと、荘内半島の最西端となる。
燧灘に浮かぶ円上島の左の小さな小島の奥に見える稜線が、どうやら石鎚山のようだ。
足元の海はここでも瀬戸内海なのかと思うほど、透明な海。


阿讃縦走が引田の東端で終えたのが2023年。その翌週には引田の城山から白鳥アルプスを歩いてこの『線で繋ぐ里山歩き』が始まり、城山の引田鼻灯台からこの讃岐三崎灯台がやっと繋がった。
完歩を祝って、奥様の淹れてくれたコーヒーで乾杯!



この荘内半島のほとんどが花崗岩でできているようで、この浪打際も風化によって独特なまるでミニ東尋坊のような岩の形をしていた。

記念のコーヒーを飲んだ後は灯台までの急坂を登り、生里へとまた四国のみちを戻って行く。
お昼ご飯を食べた防波堤の下では、猫がのんびり散歩をしていた。
車をデポした場所に戻る途中で畑をしているおばあさんに声をかけると、摘んだばかりの菜花を『お店に出ている菜花は美味しくないけど、この菜花は美味しいよ』と言って奥様に分けてくれた。



そのデポ車でスタート地点の大浜の漁港まで戻った後、瀬戸内クラシコへ。
完歩を祝ってビールで乾杯といきたいところだが、ここでもコーヒーで乾杯!
さて次はどこの線を繋ぐか二人で話をする。まずは宿題の残っている赤星山から西赤石山を繋ぐか、雪の解けるそれまでまた別の場所を探すか。色々と計画をするのもまた山歩きの楽しみのひとつだ。


今回のYAMAPです。