まだ咲いているかな寒峰のフクジュソウ!


まるでローテーションのように週の中ごろの天気が悪い状態が続いていたのが、先週は雲一つない晴天に恵まれて、そのローテーションが変わったかと思えたのだが、今週はまた水曜日の天気が悪い。

仕方がないのでまだ40%で曇り空の予想の火曜日が、まだマシなようなのでいつもの水曜日から火曜日に変更した。

私用で2週間出かけられなかった西の奥様と、『寒峰のフクジュソウを見に行こう』と話をしていたのだが、2週間経ってまだ少しは咲いているかなと思って、寒峰の予定を変更せずに登ってきた。

久しぶりに走る西祖谷から東祖谷の国道439号線は、かづら橋あたり以外は道路幅も広くてとても走りやすくなっている。

それでも西の奥様と待ち合わせをした『道の駅たからだの里』からは、2時間近くかかって上の登山口に着いた。

天気予報では8時から9時の2時間ほど晴れマークがついていたが、その予想通り車を停めた場所から南には、牛の背天狗塚の頭の上にはまだ青空が広がっていた。見上げた寒峰の稜線上も青空だ。このまま天気がもってくれたらいいが、夕方には雨予想になっている。

 

 

林道からの取り付きはどこの山も似通っていて、スタート直後にトップギアの急登になる。登山口から少し登ると、東に濃い植林の斜面の中に落合集落が浮かんで見えた。

 

 

以前からあった『火の用心の』旗は、それこそ火事にでもあったのかと思うような破れて朽ちていたが、その先では新しくロープが張られて設置者が丁寧に説明書きを吊るしていた。

 

 

林道の途中で見たミツマタはもう白くなっていたが、この高さまで来るとまだ黄色い色を残していた。その先ではまだ固いつぼみのシャクヤクの群生が見られた。

 

 

ミツマタの脇を通るとフクジュソウの群生地はすぐ近くだと記憶していたのに、思っていた以上に時間がかかって、いつもの説明版の前に着いた。『さぁ咲いてるかな?』

明るい日差しの中の斜面を目を凝らしてみると、まだ緑の葉の中に黄色い花が咲いているのが見えた。

 

 

 

確かにピークは過ぎていたがまだ結構な数が咲いていた。ただ何となくどの花も少し小さいように見えた。

 

 

散らばって咲く花を、足元の葉を見ながらとにかく踏みつけないようにして写真を撮っていく。黄色の花びらは飴細工のように輝いていた。その花びらだけでなく周りの葉も陽が当たって輝いている。

 

 

群生地の上手を回り込むとまた急登が始まる。足元の悪い場所にはさっきと同じ『阿波の峠を歩く会』の人たちが設置したロープが張られていた。

 

 

 

群生地の上部まで来るとこのコースで一番の急登が始まる。見あげるほどの急登を杉林の中ひたすら黙々と登って行く。

 

 

なんとか急登をやり過ごすと、左に人工林、右が自然林の尾根道になる。

西寒峰には登りますか?』と奥様が聞いてきた。時間は11時前。山頂でお昼ご飯にするなら寄り道しない方がいい。そう考えての事だろうから『登ったことがあるなら、寄らずに行きましょう!』と答えると、案の定奥様がニコリとした。

 

そう話してしばらく登っていると、どうも様子がおかしい。直接行くのなら西寒峰の東のトラバース道になるはずなのに、露岩が現れ険しい尾根道になった。すぐにYAMAPを見てみると、西寒峰の手前まで来ていた。

前を歩く奥様に『西寒峰に登ってます!』と声をかける。

 

 

直下の痩せ尾根に比べて山頂は広々としていた。木札に掛かれた山名標は、字が消えかかり木の枝から落ちていた。三角点はなく、それらしい柱石で写真を撮る。

 

 

西寒峰からは急な斜面を下っていくと、寒峰との広々とした鞍部に出た。窪地のような草地から振り返って西寒峰を見上げる。

 

 

鞍部から尾根を踏み跡を辿りながら登って行くと、ラミネートされた『阿波の峠を歩く会』の方々による説明書きが木の枝に掛けられ、すぐ横には以前来た時にはなかった峠の名を記した道標が建てられていた。

 

 

 

寒峰峠を過ぎると樹林帯から山頂直下の笹原になる。時間は12時30分近く。西寒峰でドーナツを頬張った西の奥様は元気に登って行く。

『KAZASHIさんは食べないの!』と聞かれたが、ザックから出した行動食の賞味期限がとうに過ぎていたので、『大丈夫です』と応えてそのまま登ってきたので、お腹がぐうぐう鳴っている。『腹減った~』

 

 

 

 

山頂は先週の塔ノ丸と同様に、遮るものもない360度の大展望。

北東には烏帽子・前烏帽子・落禿に続く稜線。奥様が落合峠から歩いて『線を繋ぎたい!』と仰っている稜線だ。

 

その稜線から右に視線を振ると塔ノ丸の笹原の奥に、剣山と次朗笈、そして三嶺までが見渡せる。

 

そこから後ろに振り向くと大きな三角の中津山とその奥に国見山

 

もちろん南には天狗塚と牛の背。徳島の剣山系・祖谷山系のオールスターの山々がすべて見渡せる。

 

 

カップ麺が出来上がるまでの間、その絶景を写真に収める。

今日のカップ麺は懐かしい『出前一丁』。後から入れるゴマ油の香ばしさが食欲を満たしてくれる。

 

 

お昼を食べている間に空はどんどん雲がかかり始めていた。

今日は落合峠までの稜線の雰囲気を確認する目的もあったので、食べ終えた後早々に東に向かって歩いて行く。

 

途中から山頂を振り返る。

 

前回はここから南に下って周回した分岐にある道標。それを見て『あら落合峠まで10km弱なんだ』と奥様。奥様が思っていたより距離が短かったようだが、過去に歩いて往復したことのある私には、それでも疲労困憊した記憶がある。

 

 

分岐から二つ目のピークで稜線の様子を伺う。今日はさほど遠くには見えないが、さてさて実際に歩いてみたらどうだろうか?奥様は来週には歩く予定で意気揚々。

私は一度は歩いているとはいえ、その時のトラックが見当たらないので、仕方がないお付き合いするか~。

 

 

偵察を終えて引き返して、分岐の道標からいったん東にトラバースした後、南に急坂を下って行く。新しく買い替えた登山靴はまだ固く、急坂になると指先が当たって痛い。

 

 

『なかなかモノレールまで来ないね』と言っているうちにモノレールの終点に着いた。レールはさび付いていて随分と使われていない雰囲気だが、いったい何のためにこんな場所まで?と思うほど麓から延々と続いている。

 

 

前回は1279mの標高点の手前からモノレールに沿ってショートカットができると思って下って行ったが、モノレールはとんでもない急な斜面のスギヤブの中に続いていて、三人で難儀をしたので今日は尾根に沿って降りる事にしたが、一度尾根を間違え右に少し下ってしまって引き返す。

 

しばらくは自然林の中の雰囲気のいい尾根道だったが、次第に傾斜がどんどん急になる。登山靴の中の指先もどんどん痛みが増してきた。

 

 

巨人にでも倒され折れたようなねじれて折れた巨木。この木の右下には数十メートルはあろうかと思う巨大なアカマツ?があった。あまりの大きさにカメラには収まらなかった。

 

急坂を下って行くと白いコンクリート舗装の林道が木々の間から見え、最後に急坂を下ると林道に飛び出した。正式なルートとしては1270mの標高点の手前から左に折れると林道に降りられるようだが、この尾根を下ると時間は10分ほど短縮できていた。

 

 

ここからは1.5kmほど駐車した場所までの林道歩き。道の脇にはミツマタがあちらこちらで咲いていた。

 

 

駐車からの帰り道。奥ノ井の山里は、平野部から少し遅れて春がやってきたようだ。

 

 

 

そして集合場所の財田まで戻ったあとの自宅への帰り道の途中では、田畑で作業する人々の姿をあちらこちらで見かる。里の季節は春から夏に向けて変わろうとしていた。

さてさて暑さに弱い私は、そろそろ熱中症対策を考える季節になってきた。

 今回のYAMAPです。

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塔ノ丸で雲ひとつない青空独り占め!



ここ数週間、週の中ごろの天気が良くなくて、やっと予報で晴れマークになった水曜日。もうそろそろ終わりに近づいた福寿草を見に寒峰でも登ろうかと予定をしたら、西の奥様から体調不良の連絡が入った。そうなると独りで東祖谷まで車を走らせるのが少し億劫になり、前回竜王山尻もちで捻ってしまったのか腰の調子も良くないので、今週は軽めに歩くことにした。

ただせっかくの晴れの日。どうせなら気持ちよく歩ける山という事で、登山口から30分ほど歩けば稜線に出られて、笹原歩きが出来る塔丸(とうのまる)に出かけることにした。

貞光川沿いの国道438号線は通い慣れた道。今日は対向車も少なく、第一ヘアピンからどんどん高度を上げていくと、少し霞がかかっているものの、遠くは阿讃山脈から、近くは黒笠山の独特な形をしたピークが見渡せた。

 

 

夫婦池の手前の登山口には一台も車が停まっていなくて、山頂では独りのんびりできると思いながら支度を済ませて歩き始める。

気温は3度、薄い上着一枚では寒かったが、まだ風がないだけマシだった。ウラジロモミの林の中を少しづつ高度を上げていく。

 

 

苔の林床がシコクササに変わると道は稜線下のトラバース道になる。一ヵ所だけある涸れ沢に張られていたロープの杭は、冬の間の雪に押されてか倒れ掛かっていた。

 

 

その涸れ沢を過ぎた辺りから踏み込んだ靴の底の音が変わってきた。ん?と思ったら道の脇に霜柱がいくつも・・・。どうりで寒いはずだ。

平野部では桜が散り始めているのに、やはり高いお山の春はもう少しだけ先のようだ。

 

道が稜線に近づいてくると、すっかり葉を落としたダケカンバの木々の間から陽の光が差し込み始めた。

樹林帯の中から尾根に出て少し登ると 四等三角点 塔丸東 1579.11m

ここのところの天候不良で足元が汚れるのを気にして、以前から買ってはいたけど履かずにいたおニューの登山靴は初めての三角点。

 

 

三角点から少し先では、剣山次郎笈のビューポイント。この塔丸の稜線もいいけれど、今日の剣山山頂からの次郎笈の稜線は見事だろうな~と思いながら視線を移すと、塔丸山頂の横に三嶺が見えた。

 

 

そのビューポイントのさらに先にはこのコースのシンボルの石灰岩のような白い大岩。

この巨石の横から稜線歩きが始まる。

 

 

巨石から稜線をゆっくりと高度を上げていく。

さっきまで冷たく感じていた北側からの風も、陽が当たると心地よく感じるが、まだ薄手の手袋では指先が冷たい。

振り返ると大きな剣山と小ぶりな丸笹山の間に見えるのは天神丸辺りだろうか?

あの山域は香川からはけっこう遠くて、スーパー林道や川成峠を走って行くには、普通車では二の足を踏んでしまって、今まで行ったことのない山域だ。

 

北にはデベソのようなピークの津志岳から、ちょこんと頭を出した黒笠山、そして山頂近くが笹原の矢筈山が並んで見えた。

 

稜線には白骨林と濃い灰色をした変性玄武岩(?)が点在している中を道が続いている。その内のひとつの岩に登ってみた。独り歩きだと三脚を立ててタイマーにして、走って写してまた戻るので割と時間を喰うしとにかく忙しい。

 

 

小さなピークをいくつか越えていく。どのピークも近づく度に都度、塔丸山頂かなと思ってしまうのだが、塔丸山頂は直下に樹林帯があるので見分けがつく。その塔丸がだんだん近づいて来た。

 

 

 

塔丸のひとつ手前のピークから一旦鞍部まで下って、少し登るとワンちゃんの横顔に見えるワンワン岩。その横を過ぎ笹原から樹林帯を抜けるといよいよ山頂だ。

 

 

予想通り山頂には誰もいない。先ずは 三等三角点 塔丸 1713.01m 

山頂標の字は消えかけ、柱から落ちていた。前回来た時に、黒マジックを持ってこなくちゃと西の奥様と話をしていたのをすっかり忘れていた。

 

 

 

ここまで来ると、北に矢筈山から続くサガリハゲ山。その肩の左に烏帽子山前烏帽子山。そして寒峰へと続く稜線が眺められる。

落合峠から寒峰矢筈山から黒笠山、津志岳は『線で繋ぐ』での宿題となっている稜線。さてさていつになったら繋げられるかな?

 

 

西には三嶺が正面に見える。そう言えば毎年登っていた三嶺も、ここ最近は登れてないな~・・・・。『早くおいで!』と手招きされている気がした。

 

三角点の南の岩に腰を下ろして『雲一つないとはまさに今日の事だな』と思いながら、四国のゴールデンルートを眺める。

時間はまだ10時30分過ぎ。お昼ご飯にするには、いつもお腹が空いたとうるさい西の奥様がいない今日はまだ早い。予定を変更してお昼ご飯は山から降りて貞光の『インドラ』さんのカレーライスにしよう。

その前に菓子パンをひとつ頬張り、平らな岩の上で寝転ぶ。

 

 

今年の少雨は名頃ダムでも同じようで、随分と貯水が少ないように見える。

 

いつになく岩の上でゆっくり、のんびりした後に三嶺を背にパシャリ!10秒のタイマーで何メートル走れるのだろうか?しかも不安定な岩の上までと考えながらシャッターを押して、走った後に岩に飛び乗った。

岩の上からは以前に小島峠の南の赤滝川から登ってきた笹原斜面が見えた。この斜面も素敵な笹原だった。

 

 

今日のこの天気、塔丸と比べると剣山はけっこうな人で賑わっているだろうな~。そう思い眺めていると男性が一人登ってきた。山頂と青空独り占めは終了!ザックを担いで『さぁ帰ろっと!』

 

 

たおやかなこの稜線はのんびり歩くにはもってこいの山。気温は上がってきたが風が冷たいせいか、あまり汗もかかずに快適だ。

赤滝川から登ってきて、小島峠へ周回した時に下ったのはこの左辺りからだっただろうか?

 

最後の小ピークからは八面山から綱付山が見えた。こちらも『線で繋ぐ』のターゲット。

津志岳に登った久藪から九藤中を通って登れば、矢筈山・黒笠山・津志岳・八面山・綱付山・中尾山、そして赤帽子山・丸笹山と線が繋がるという壮大な?計画だ。

 

 

白い巨塔でなく、白い巨石まで戻って来た。振り返って今日の稜線と三嶺とはお別れだ。

 

東塔丸の三角点を過ぎ、前回と同じように往路ではなく稜線を歩いて行く。ウラジロモミとダケカンバの林の中を踏み跡が続いている。

往路と同じように林床がシコクササから苔に変わると、いよいよ登山口が近づいている。

 

 

前回のように夫婦池の南側までは歩かずに、途中から往路の道へと適当に下って行くと、偶然にも登山口の手前に降りて来た。

マイカーの後ろにはバイクが一台。山頂で会った人のものだろう。

さぁそれでは急いで貞光まで・・・・と思ったが、せっかく時間があるので途中でいつも通り過ぎていた場所を立ち止まったり、ちょこっと寄り道してみる。

 

三方開きの独特な外観の葛籠堂

 

忌部大宮司家正統・麻植定光の菩提寺の定光寺

 

高越大権現一宇岩戸分霊所へ渡る赤橋

 

なかなかの風景

 

そしてやっと『インドラ』さんへ。お腹空いた~~。

 

お店はご夫婦とそのお母さん。お母さんはとても愛想が良く、持ってきたカレーをテーブルに置いて、『美味しいよ!』と明るくニッコリと。お茶目!

 

鉄板に載ったカレーは最後まで熱く、たっぷり入った玉ねぎがトロトロで、山で歩いたのでカロリー気にせずカツカレーをペロリと頂き、大満足で一日を終わらせた。

 

今日のYAMAP

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終わったばかりの『線で繋ぐ』をまたまた・・・・!

 

先週は天気が悪くて山はお休み。1週開けての今週は、久保谷のルリイチゲがそろそろ終わりかけかなと思って、ルリイチゲを愛でながらのんびり歩こうかな思ったのだが、いつものように三頭山までの往復では芸がないと思ってカシミールの地形図を眺めていたら、『阿讃縦走路』のトラックと、前回終えたばかりの『線で繋ぐ里山歩き』のトラックの間に、ポッカリと空間があるのが目に付いた。

その白地はさほど距離的には離れていなくて、この間を歩けば阿讃と里山の線が繋がる、そう思って西の奥様に提案したら、線を繋げるのが大好きな奥様はもちろん大賛成!

ルート的には阿波竜王(阿讃)と砥石山(里山)歩いた後に島ケ峰の稜線を歩けば、新たに4つのYAMAPのポイント(川東・島ケ峰(沖野)・剣山・島ケ峰(美合)をゲットできる。

しかもそのピークの一つの剣山の直下には、以前からずっと気になっていた剣山神社があるらしい。

 

そうなると久保谷のルリイチゲは下山後にという事で、まずは島ケ峰に一台をデポして、もう一台で明神川の最上流部になる浅木原に移動してスタートした。

白いソバの花の咲いていない島ケ峰を訪れるのは今回が初めて。駐車場に一台を駐車させてもらって浅木原へ。

 

島ケ峰から県道154号線を東に走って行くと浅木原で行き止まりになる。この県道154号線は久保谷塩江線となっていて、東側の川東の稜線の反対側、塩江の貝ノ股からの道も154号線となっているので、この間を繋げる計画だったのだろうか?しかも尾根を越えた塩江側の最終集落も浅木原となっているのが不思議だ。

行き止まりとなる手前の広くなった路肩に車を停め、廃屋を利用した何か施設のような入り口の横を通って歩いて行くと、竜王山登山口の道標があった。

 

 

施設の横を通って最初は竹林、次第に杉林の中の作業道の急登となる。道が合っているのか少し不安になるが、何カ所かで道標が立っていたので、それに従って進んで行く。その道標の上にはこの森の持ち主だという黒川さんの石碑が立っていた。

『すみません黒川さん、通らせていただきます!』

 

 

 

作業道から道は登山道になると、県内では見慣れたブリキの案内札が所々に掛かっていた。竜王山川東との稜線に出た後、南に向かって登って行くと阿波竜王山讃岐龍王山との分岐に出た。分岐には割れた地蔵。元々は徳島側との峠だったのだろうか?

 

 

 

ここからは以前に歩いた阿讃縦走路となる。広々とした尾根道に、葉を落とした木々の間から射す木漏れ日が気持ちがいい。

 

 

阿波竜王山の展望台からは南側より北側の景色が広がっていた。手前の稜線は今日歩く予定の島ケ峰の稜線。その左端には車を停めた島ケ峰の開墾地、さらにその稜線の奥には大川山が見える。

 

 

展望台の下には手作りの山名標。1000mを越える山頂は久しぶりだ。ここの所里山の山頂でほぼ見かける小動物のクリップはここではリスさんだった。

 

 

阿波竜王山から一旦折り返して分岐まで戻る。割れた地蔵菩薩から先ほど登ってきた道を笠形山への道標に従ってと下って行く。

 

 

陽の当たらない北側の斜面は、日曜日に振った雨で落ち葉の下の地面がまだ乾かず、注意して下っていたにもかかわらずズルっと足を滑らせ、久しぶりに尻もちをついてしまった。

 

 

濡れた地面で当然お尻はドロドロ、西の奥様が面白がって写真を撮るが『ふが悪い!』。

下山後の島ケ峰にデポした車は西の奥様の車。『車に乗せられないわね』なんて仰る(笑)ので、『じゃ~ズボンを脱いで乗ります!』

 

浅木原の分岐を過ぎると急登が始まる。一つ目の急登を登ると下り坂。ここでもさっきの二の舞は踏まないようにと慎重に下って行く。

 

 

スタート直後に『今日は新しいポイントが4つという事は、登り降りも4回という事ね』と奥様は仰っていたが、4つのピークのある島ケ峰の稜線でなく、この間だけでも何度も登り降りを繰り返す。『甘かったわね!』と奥様。

 

 

やっと急登を登りきって安心したのか、通り過ぎようとする奥様を呼び止め今日ひとつ目の新しいポイントの川東は、たしかに山名標が色あせて目立たない。

足元には 三等三角点 川東 981.99m  柱石。

ピークからは東にテープがあり少し下ってしまったが、おそらく塩江側の浅木原に下った人がいるのだろう。引き返して川東から少し西へ歩くと、笠形山島ケ峰との分岐になった。

島ケ峰の稜線へは注意喚起の倒木を並べてあった。YAMAPの地図にもここから島ケ峰(沖野)まではコースとなっていない。まずは笠形山の道標の矢印へと進んで行く。

 

 

 

最初は川東のピークの北側トラバースするような下り坂。竜王山からの下り坂と同じように、落ち葉の下の地面が濡れていて滑りやすい。

特にロープが張られて『かつらく注意』と書かれた場所は、下を覗き込むとスキーのジャンプ台のような急斜面に木が一本も生えていない。落ちたらそれこそ奈落の底まで落ちそうだ。

 

 

トラバース道から川東の支尾根の道になると、川東の陽の当たらない杉林から打って変わって明るい尾根道になる。

その雰囲気の良い尾根道のお陰か、コースタイム35分のところを25分ほどで砥石山に着いた。

これで阿讃縦走路と里山歩きのトラックが繋がったことになる。

 

 

この砥石山は前回笠ケ峰から歩いて来た時の印象が全くない場所だが、思っていたよりも明るく雰囲気がいいのでここでお昼ご飯にする。

私が『今日は味噌バターラーメン』だと自慢すると、『私は松阪牛すき焼き味よ!』と返された。

 

お昼ご飯を食べた後は島ケ峰への分岐まで折り返す。明るい尾根道は本当に気持ちがいい。そんな陽気に誘われてか、今日は歩いている間中周りでずっと、今まで聞いたことのないような色々な鳥の鳴き声が聞こえていた。

 

川東のピークの下まで来ると前から二人の男性が降りて来た。まさかこんな所を歩く人がいるなんてと思っていると、向こうもそう思ったのか少し驚いた顔をしている。

『どちらまで!』と尋ねると、私たちと同じように『島ケ峰に車を停めて、砥石山まで往復します。』との事。年齢的には私と同年代のように見えるが、さして特徴もなく眺望もない砥石山まで往復される意図を汲みかねる。(たぶん男性たちも同じように思っている?)

『お気をつけて!』と声をかけてすれ違って島ケ峰の分岐まで登って行く。

 

分岐まで戻り、倒木で塞がれた島ケ峰の稜線へと歩いて行くと、直ぐに道は作業道の広い道になった。

 

地形図を見るとこの稜線上や麓の浅木原の集落からも縦横無尽に実線が続いていて、航空写真を見るとかなりの範囲で伐採が行われているのが分る。ただ作業道は随分と前から使われていないようで、石や枯れ枝が道を埋めすくしていて随分と歩きづらい。

 

 

島ケ峰(沖野)のピークの手前に大きなヌタ場。『島ケ峰温泉でございます!』と言いながら横を通ると、ピーク直下の急登が始まった。

 

 

その急登を登りきると、ピークは 四等三角点 沖野 938.61m

今日ふたつ目のYAMAPポイントゲットだ!

 

 

沖野の先では畑か果樹園のような平坦地に軽ワゴンが一台捨てられていた。ただこんな稜線上で車を捨てるとは考えづらいので、農作業の際の物置代わりにしていたのかもしれない。この辺りで少し道が不明瞭になるがテープを見つけながら進んで行くと、また人工林の中の道になった。

 

 

落ち葉で登山靴が隠れるほどの斜面を登り、一旦下った鞍部からは目の前に見上げるようなピークを登って行く。どの登りも高さはないが急登で小刻みなアップダウンは意外と疲れる。

 

 

 

 

その小ピークでは間違いやすいのか右側は倒木で注意喚起をしてあった。ここでは左に進んで行くと、コジラの背中のような岩が尾根に並んでいた。

 

 

 

そのゴジラの背から先の、もう一つピークを越えて登り切った場所が剣山だった。

このピークで西の奥様はYAMAPで500ポイントになるそうなので、記念撮影。

山名標に書かれた数字は955m。丁度徳島の剣山と1000m違いになる。

 

 

この剣山から西直下に今日の私の大本命の剣山神社があるのだが、その方向の斜面はかなり急そうなので一旦南の尾根を下って、途中の分岐から回り込んで歩いて行く。

 

 

道は以前は参道だったのだろうがその面影は全くなく、長い年月で斜面の土が崩れてザレて、所々でヒヤッとするくらい危なげな場所がある。

その歩きづらいトラバースを進んで行くと、以前に写真で見た崩れかけた石垣に、傾いた狛犬と燈籠が現れた。

前々からずっと来てみたかった場所に今日やっと来ることが出来た。

 

 

以前に見た写真はヤマレコに載っていたmarinさんの写真だったが、そのキャプションには『かつては獅子舞も行われた場所 感慨深いです』と書かれてあったが、まさにその通りで、こんな山中にこれだけ立派な(立派だっただろう)境内があるなんて、不思議でたまらない。

 

狛犬の先の石垣に囲まれた拝殿の木造部分と屋根は朽ち落ち、その奥も斜面からの落石で荒れていた。

 

 

その拝殿の奥には三位一体の石仏。marinさんによると安徳天皇・スサノオノミコト・オオヤマツミノミコト石仏だそうだ。

 

 

さらにその横には、marinさんが崩れたトタン屋根の下に埋もれていたのを掘り出したという地蔵菩薩が、今日は落ち葉に埋もれていた。

以前は祠の中に大切に祭られていたのか、横の石仏と比べると最近造られたのかと見間違うほど、白くきれいな地蔵菩薩だ。

その落ち葉を丁寧に取り除くと台座までのお姿が現れた。その姿を見て『なんてきれいな顔をしてるの!』と奥様がしきりに言っている。なるほどシュッとしたお顔はたしかにイケメン?だ。やはり奥様もイケメンには目がないようだ。

陽に照らされたイケメンに手を合わせ、剣神社を後にする。

 

 

 

もし大きな地震でもあったなら、この傾いた狛犬はおそらく・・・・・。

 

剣神社からまたザレたトラバース道を慎重に戻って行くと、直ぐに最後のピークの島ケ峰(美合)への急登になる。

足元には何カ所も足を滑らせた跡がある。これは先ほどすれ違った二人が足を滑らせた跡だろうと二人で言いながら、木を掴み木の根元に足を置きながら登って行くと、さらに大きな滑った跡が。『これ絶対尻もちついてるよね』と二人で笑い合う。

 

 

最後のピークは 三等三角点 島ケ峰(見合) 939.63m これで今日はYAMAP四つのポイントをゲットできた。

 

 

美合から島ケ峰への下り。途中で初めて見る〇団と書かれた杭は何の杭だろうか。

少し薄暗い杉林を抜けると島ケ峰の駐車場の上部の下道に出た。

峠でもない場所にある石仏。以前はここからも剣神社への参道になっていたのだろうか?

 

 

 

正面の朝一番に歩いた阿波竜王山の稜線を眺めながら駐車場へと降りて行く。

道の脇には旬を過ぎたフキノトウが並んでいた。

 

 

 

駐車場からデポ車に乗り込み浅木原へ。そこから今日、本来の目的だったのについでになってしまった久保谷へ。

谷の入り口近くのルリイチゲは色が少し薄いような気がしたが、取りあえず何枚か写真を撮って早々に駐車場まで戻る。

 

 

 

駐車場まで戻るとすぐ下の道路に車が2台停まって、川東の下ですれ違った男性二人が車から降りて来た。

『お疲れ様です!』と声をかけ、『美合の坂で滑っていたでしょう』『私も今日は尻もちついてしまいました』と言いながら汚れたズボンのお尻を見せると、案の定片方の男性が笑いながら汚れたお尻をこちらに向けて見せてくれた。

四人で笑いながら別れた後、西の奥様には『来週はどこにするかまた連絡します!』言って別れた。

 

帰り道、香南楽湯でゆっくりと温泉に浸かり、直ぐ近くの『みつやの里』で中華そばを注文した後、『そうだ、お昼もラーメンだった』と思い出したのだが、すでに遅かりし。最後の〆が閉まらなかったが、まぁ色々目標を達成できた一日だったと思い返して、中華そばを食べながらほくそ笑む。

 

 

 

今回のYAMAPです。

https://yamap.com/activities/47004045

 

『線で繋ぐ里山歩き』引田鼻灯台から讃岐三崎灯台まで繋がった!

 

 

先週に塩江から笠松山を歩いて山間部の線(トラック)が繋がり、今回いよいよラストウォークで、荘内半島の大浜から讃岐三崎灯台まで歩けば、3年前からスタートした引田鼻灯台から里山を歩きながらトラックを繋げる『線で繋げる里山歩き』が完歩となる。

西の奥様は前回の笠松山ですでに三崎灯台までは歩いていてトラックは繋がっているので、今回は私のお付き合いとなった。

 

 

大浜の漁港からは雲一つない青空の下、伊吹島の背にまだ雪をまとった法皇山系から石鎚山系の山並みが見渡せた。

 

 

前回のゴール地点から紫雲出山に登ってあとは三崎灯台までと単純に考えていたのに、西の奥様が前回一服山から下りた後、長坂登山口の向かいから尾根に登って、さらに115mの三角点を経て大浜に降りるつもりが、シダの藪の中で迷走して道を外してしまったのがどうにも悔いが残っているらしくて、その道を外した地点を確認したいと申されるので、仕方なくお付き合いすることになった。

大浜漁港から前回歩いた県道を戻り、鴨之越のバス停の手前から山の方へ下道を歩いて行くと、下調べした通りの場所に道の脇にテープが巻いてあった。

そのテープに従って斜面を山の中へと登って行くと、途中からやはりシダの中に入って行く。

 

 

 

シダの藪はなんとなく踏み跡があり、テープを見ながら歩いて行くと、前回行き止まりで引き返してしまった場所に出た。ここで斜面側にたしかにこのテープを見つけていたのだが引き返してしまった。

『このまま登っていれば迷うこともなかったのに』と奥様には納得していただけたようだ。

 

理由が分かれば次は115mの三角点へと、もと来た道を急斜面を戻って行く。

下道に降りると南から散歩中のおじいさんがやってきた。『おはようございます!』と声をかけるが返事がない。それもそうだ、朝から道でもない山の中から二人が飛び出してきたのだから怪しんでいたのだろう。

おじいさんが立ち去った後、向かいの斜面へと三角点に向かって登って行く。少し藪いた場所があったがこちらも所々に付けられたテープを目印に登って行く。

 

 

 

三角点は 四等三角点 鴨ノ越 115.33m

三角点を踏んだ後は大浜へと下って行く。尾根筋は意外と歩きやすく途中からは、車を停めた大浜の漁港が見下ろせた。

 

 

 

わが愛車が停まっているのが見える。

 

灌木のトンネルを潜りながら『楽しいね!』と言っていると、里に下りる手前で少し藪いてきた。ここでもテープを見ながら下って行くと、民家の上の畑に飛び出した。

畑は獣鳥の被害があるのかネットで囲われ、その中でおじいさんが作業をしていたので、『すみません、横を通らせてもらいます!』と一声かけて歩いて行く。

 

 

民家の間を歩いて行くと浦島郵便局の横に出た。郵便局の前を歩く奥様が『ひょっとしたら!』と言いながら歩いた先で『開いてます!』と言ったのが『そらとうみ』のパン屋さんだった。

人気のパン屋さんで、いつも早めにいかないと売り切れているお店で、さっそく二人で中に入り、美味しそうなパンを買い求めた。

 

 

とっても愛想のいい奥さん?と会話をして、店先で小ぶりなアンパンを二人で食べた後、紫雲出登山口へと大浜の街中を歩いて行く。

ひとこととイラストをブロックに書いた民家や、縁側のガラス戸に落書きのような絵を描いた古民家などを見ながら歩いていて、思わず微笑んでしまう楽しい街だ。

 

 

 

登山口には四国のみちの案内板。ここから紫雲出山を経て、三崎灯台まで四国のみちが続いているようだ。

 

 

畑の脇に日本語・英語・韓国語・中国語で歓迎の手書きの看板。その先では二人で話し込んでいた年配の女性からは『どちらへ?』と声を掛けられ、『紫雲出山』と答えると『がんばってね!』と明るく応えてくれた。

訪れる人にとにかく街をあげて歓迎している様子が伺える。

 

最終民家を過ぎ、廃ビニールハウスの横を通ると山の中の道になる。四国のみちで整備された道だが、この季節は落ち葉に埋もれた道になる。

 

 

大浜登山口から45分ほどで車道に出た。ここからしばらくは車道歩き。ガードレールの下に今シーズン初めてのスミレが咲いていた。

 

 

車道の終点が紫雲出山駐車場。第二駐車場の東屋展望台からは粟島をはじめとする瀬戸内の島々。そして三豊の街や里山や海が見渡せた。

今日は最高の青空の下、ずいぶん遠くまで見渡せる。

 

 

 

 

『あっ、ここからも大浜の漁港に停めた、わが愛車が見える!』

 

駐車場には数台車が停まっているだけで人影もない山頂目指して歩いて行く。

あと半月もすれば、桜を目当てに大勢の観光客が訪れる事だろう。

展望台の手前の会枡の中にある 二等三角点 紫雲出山 352.14m

 

展望台からは最終目的地の三崎灯台が、岬の先で白い頭を出しているのが見えた。

 

展望台の下の桜並木の中では、発掘調査のため立ち入り禁止のロープが張られ、その奥で穴の中で土を掘りだしている人がいた。この山頂近くで弥生時代からの遺跡があるのは全国的にも珍しいそうだ。

 

 

桜並木が終わると丸太で造られた階段がずっと続いて行く。階段は段差があり、固い丸太の上に足を置きながら降りて行くのだが、調子のよくない膝にズンズンと響いて痛い。

 

 

その階段が終わると四国のみちの道標の先から、今度はコンクリートの道になる。

そのコンクリートの道は箱峠まで続いていたが、途中で『このコンクリートをどうやって運んだのかな?』と奥様と二人で話をする。箱峠まではまだ500mほどあり、当然ミキサー車は箱峠に停めていただろうから、その距離を人が押車で運ぶのは無理だろうという事でその答えは分からなかった・・・・。

 

 

箱峠の手前の2体のお地蔵さんに手を合わせ車道に降り立つと、峠から少し北に下った場所からまた四国のみちが始まった。ここまでが『紫雲出山ロマンの道』、ここからは『岬めぐりの道』となるようだ。

 

 

箱峠からの四国のみちもコンクリートの道になっていた。さすが国の主導で造られただけのことはあるが、今は落ち葉に埋もれていた。

 

 

紫雲出山からこの岬の四国のみちはまだマシな方で、以前読んだ徳島新聞の記事では、徳島県内にある24ルートの内、2ルートが通行止め、2ルートが通行困難で、他にも荒廃の激しいルートがあるという。

整備はしたものの永年メンテナンスする難しさは、四国のみちだけには限らない。

 

 

 

落ち葉を踏みしめ下って行くと生里の集落にでた。生里はあの浦島太郎が生まれた場所、そして箱峠の北側のの集落は、浦島太郎が玉手箱を開けてしまった場所という伝説の残る集落だ。

坂道の両側の民家は石積みの上に建てられ、焼杉の壁と瓦屋根がとてもいい雰囲気を醸し出していた。

そんな民家の間を通って行くと、仁老浜に出た。

 

 

仁老浜浦島太郎の母の生家があった浜で、玉手箱を開けて老爺となった浦島太郎が余生を送った浜だそうだ。

そんな伝説を知って、底まで見える透明な海を眺めていると、なるほどのんびり余生を送るのには良い場所だと思ってしまう。

 

ここから三崎灯台まではまだ1時間ほどかかるコースタイムになっていたので、ここでお昼ご飯にする。波静かな砂浜を眺めながらカップ麺を食べた後、ザックの中を片付けていると、不意に足元のテトラポットの下に行動食のチョコレートを落としてしまった。テトラポットの間を潜りながら砂浜に落ちたチョコレートをなんとか拾い上げる。これが私の玉手箱!。

 

 

仁老浜の先はキャンプ場になっていて、竜宮城を模したきれいなトイレが建っていた。その横からまた四国のみちへと入って行くと、道の途中からはいつも見る山容とは違った姿の紫雲出山が見えた。

 

 

キャンプ場から少し登坂になった後は緩やかに続く道。道の真ん中に遠くから見るとお地蔵さんに見えたのは、道行く人が積んだケルンだった。

 

途中にあった三崎神社をお参りした後は、いよいよ三崎灯台だ。瀬戸内の沿岸部ではよく見られるウバメガシに囲まれ、その小さな葉の積もる道が続いていく。

 

 

 

四国のみちの終点に三崎灯台があった。灯台は普通丸いイメージがあったが、ここの灯台は四角い形をしていた。

白いタイルの張られた外壁は汚れることなく明るい日差しを浴びてきれいに輝いていた。

 

 

 

灯台からさらに下に下って行くと、荘内半島の最西端となる。

燧灘に浮かぶ円上島の左の小さな小島の奥に見える稜線が、どうやら石鎚山のようだ。

足元の海はここでも瀬戸内海なのかと思うほど、透明な海。

 

 

 

阿讃縦走が引田の東端で終えたのが2023年。その翌週には引田の城山から白鳥アルプスを歩いてこの『線で繋ぐ里山歩き』が始まり、城山の引田鼻灯台からこの讃岐三崎灯台がやっと繋がった。

完歩を祝って、奥様の淹れてくれたコーヒーで乾杯!

 

 


この荘内半島のほとんどが花崗岩でできているようで、この浪打際も風化によって独特なまるでミニ東尋坊のような岩の形をしていた。

 

記念のコーヒーを飲んだ後は灯台までの急坂を登り、生里へとまた四国のみちを戻って行く。

お昼ご飯を食べた防波堤の下では、猫がのんびり散歩をしていた。

車をデポした場所に戻る途中で畑をしているおばあさんに声をかけると、摘んだばかりの菜花を『お店に出ている菜花は美味しくないけど、この菜花は美味しいよ』と言って奥様に分けてくれた。

 

 

 

そのデポ車でスタート地点の大浜の漁港まで戻った後、瀬戸内クラシコへ。

完歩を祝ってビールで乾杯といきたいところだが、ここでもコーヒーで乾杯!

 

さて次はどこの線を繋ぐか二人で話をする。まずは宿題の残っている赤星山から西赤石山を繋ぐか、雪の解けるそれまでまた別の場所を探すか。色々と計画をするのもまた山歩きの楽しみのひとつだ。

 

 

今回のYAMAPです。

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『線で繋ぐ里山歩き』奥様はコンプリートだよ!

 

『線で繋ぐ里山歩き』も今回笠松山まで歩けば山間部が終わり、残りは詫間の大浜から紫雲出山、そして三崎灯台まで歩けば完歩となる。

と思っていたら、西の奥様は既に三崎灯台まで歩いているとの事で、今回でコンプリートとなるだそうだ。

まぁそれなら来週は私のお付き合いでという事で、今日はしっかりと線を繋いで、もうひとつの奥様の目当ての『いこい食堂』の中華そばを下山後に頂くことにした。

 

今回は下山予定の旧貝温泉前の駐車場にデポして、前回八丁山から降りて旧塩江新温泉の入り口前に車を停めた場所からスタートした。

今日のルートは前回の八丁山までのルートも参考にさせてもらった、鉄塔一筆書さんのルートをダウンロードさせてもらった。

まずは車を停めた場所から香東川沿いに国道を北に向かって歩いて行く。1kmほど歩くと左手の川に架かった沈下橋を川向へと渡り、後川の集落へと入って行く。

 

少し歩くと芦川集落との二股になり、標識に従って左に坂道を登って行く。するとすぐに道の脇に、以前は行き来する人が多かったのか、その人たちの安全を願ってか、なんとなくとぼけた顔をしたお地蔵さんが、法面の上からこちらを見下ろしていた。

 

 

道は谷あいの道になり、最終民家を過ぎた先に『星越え峠』の説明板が設置されていた。内場ダムが出来るまではこの奥の峠を越えてけっこうな人や借子牛の行き来があったと書かれている。

 

 

コンクリートの道がしばらく続いた後、道の右側山手に『星越え峠』と書かれた道標。その道標に従って山の中へと分け入る。

 

 

取り付きからしばらくは竹林の中の道から次に杉林の道になる。多少竹の倒木があるが軽自動車が通れるくらいの道幅があり、峠まではしっかりとした道だ。

 

 

峠ではお地蔵さんが向かい合って座っていた。その内の一体は背の部分が掛けていたが、どちらにも青々としたシキビやナンテンが供えられている。ここから内場ダムへ下っても今は集落はないので、今歩いて来た後川の集落の人たちがここまでお参りに来ているのだろうか?

 

 

お地蔵さんから先は左に内場ダムに下る道と、右に山手に行く道に分かれていた。右に山手に入って行くと直ぐに荒れた竹林が現れた。

先月、広野から高仙山に登る途中や石鎚神社から小簔への下りでも同じように荒れた竹林があったが、人が入らなくなった竹林も、他の山と同じように荒れていくのだろう。今日も倒れた竹を跨いだり潜ったりしながらの障害物競走だ。

 

 

その荒れた竹林を抜けると450mの三角点に続く尾根筋の急登となる。昨日に振った雨で、場所によってはまだ濡れた落ち葉を踏みしめ登って行く。

道にはもうアセビが可愛らしい花を付けていた。

 

 

 

朝一台をデポした場所からスタート地点に向かう途中、内場池の対岸から見えたこの稜線はデコボコしていたが、その見た目通りにアップダウンが続いていく。

葉を落とした木々の間からその内場池がチラチラとは見えている。

 

 

星越え峠の手前でお目当ての『いこい食堂』の中華そばの話になり、『いったい何時に食べられるかな~』と聞くので、『14時30分位ですかね~』と答えると、『え~~そんなに時間がかかるの?』と言って、『そんなに時間かからないでしょう』と自身が思っていた時間ではなかったようで『それじゃ急ぎましょう』と言っていたが、荒れた竹林や、この辺りの灌木や倒木の尾根筋になって『意外と時間がかかりそうね』言いながら、細い枝を掻き分け前を歩いている。

 

 

 

内場池の湖面が見えると少しづつ標高が上がってきたのが分る。池の奥には池ノ谷の集落の上にある電波塔が見えた。

 

450mの三角点の直下でまた急登になった。すると尾根筋に真新しいトラロープが張られ、『立ち入り禁止』の看板がロープに掛けられていた。

 

 

トラロープは三角点のピークまで続き、三角点の手前には木製の階段らしきもの?も造ってあった。(こんな人気のない歩く人もまず居ないだろう山の中に?)

 

しかもそのロープは三角点の柱石にも巻き付けられていた。(いいのかな?)

三角点は 四等三角点 城山 450.38m

三角点の少し南側の先は、木々が伐採されて内場池をきれいに見渡せた。

このピークと前後の稜線上には内場城があった場所らしいが、登ってくる途中に土塁や曲輪らしいものは見当たらなかった。

 

 

城山の三角点からは今度は焼杉の杭にまだ製材して新しいヒノキの踏み板で階段が造られていた。先ほどの立ち入り禁止の看板の下にも内場城跡保存会と書かれていたので、その人たちの手によるものかな?

 

 

 

細い尾根に沿って歩いて行くと途中で正面の尾根が立ち入り禁止となっていたので、左に折れて下って行くと、地形図に載っている実線の道に出た。

ここにも城山(内場城跡)山頂と書かれた立派な案内板が設置されていたが、よほどの山城マニアでないと、ここまで来ないかな?

 

 

 

柿野へと続く道の斜面側には同じように立ち入り禁止のトラロープが張って続いていた。『ロープ代、けっこうかかるでしょうね』と奥様がポツリと。

 

しばらく実線の道を歩くと、林道城原炭谷線に出た。直ぐ道路向かいには地形図で破線が続いていて、ここから柿野の集落を通って笠松山の支尾根へショートカット出来るかなと思っていたら、ここでも立ち入り禁止の看板が掛かっていたので、仕方なく鉄塔一筆書さんが林道を歩いたルートに沿って行く。実線の道から林道に出る手前にはお地蔵さん。

 

 

 

林道の先を炭谷方面へと歩いて行くと、鉄塔一筆書さんが地形図には破線が載っているのに、実際は高い法面になっていて取り付くのは無理と書いていた場所は、確かに登って行けるような場所ではなかった。

 

さらに歩いて行くと林道塩江琴南線との三差路になった。ここから尾根に取り付いて行く。手前の南側からは背の高いホテルセカンドステージが、城山のピークの横に見えた。

 

 

 

尾根筋に取り付くとさっそく急登が始まった。724mの標高点へと続く破線に出るまでの間は、しばらく灌木の中の急登。お互いに登りやすい、掴みやすい木を探しながら登って行く。こんな急登も西の奥様はこ慣れたもんだ。

 

 

 

急登を登りきると古い祠があった。星越え峠の祠と違って、さすがにここまで花を供えにやってくる人はいないようだ。

まわりの木々は少しづつ芽吹き始めていたが、それでも葉をすっかり落とした木の枝の間から遠くにシンボルタワーが見えた。

 

 

その木々の隙間から真冬並みの冷たい風が北側から吹き上げて来て、急登でかいた汗が冷え始めたので、登りで脱いだ上着をまた着こむ。

 

その先の尾根には露岩が現れる。急登だけれど岩があると足掛かりになるので、足を滑らさずに登って行ける。

 

 

724の標高点を過ぎ日ノ宗へと分岐の三差路は広尾根になっていた。左に折れると日ノ宗、右に折れると笠松山

笠松山へは少しだけ下って最後に登り返しとなる。

 

 

 

スタートから4時間弱で笠松山に着いた。前回は林道下切貝の股線の峠から3年前にここまで歩いて来た。

これで西の奥様は引田鼻灯台から、三崎灯台までが繋がったことになる(おめでとう!)

前回にはなかった新しい山名標には、なんだか私と同じような顔をしたイラストが描いてあった。

 

 

 

西の奥様のコンプリートを祝って、洋菓子とコーヒーで乾杯!

 

取りあえずここまでは、下山後の中華そばを食べるためにおにぎりの行動食で我慢してやってきたが、ここでのこの洋菓子が少しは腹の足しになった。

コーヒーを飲んだ後、もと来た道を三差路まで戻り、738mの蛸山へと続く破線を辿って下って行く。

登りの尾根筋でもそうだったが、この辺りには狸の家族が多いようだ。

 

 

尾根の道は明瞭でテープも所々であり、尾根を外すことはない。

途中蛸山の手前で道はトラバース気味に続いていたが、蛸山へは道を外れてピークめがけて登って行く。

 

そのピークでは蛸山と書かれてはいるらしいが、雨で濡れて判読できない山名標が掛かっていた。

 

蛸山からは手前のトラバース道を目指して下って行くが、広尾根で方角が分りづらく、灌木の中を木々を掻き分け右に左に進んで行くと何とか尾根筋に出られた。

 

その尾根筋を下って行くと 四等三角点 小向 612.24m

 

さらに下って行くと、前回見た八丁山からの下りにあった椛川ダムの反射板よりはかなり古い、内場ダムの反射板が建っていた。

 

反射板からは片側は自然林、反対側は杉林の緩やかな支尾根。その杉林が終わると自然林の中の急坂となった。

濡れた地面と落ち葉で、時々ズルっと足を滑らせるが、何とか尻もちをつかずに済んだ。(尻もちをついて汚れたズボンではいこい食堂に入れない?)

 

 

 

急坂を下りきると416mの標高点との鞍部の、地形図には載っていない作業道らしき幅の広い道に出た。

 

その道を支尾根を回り込むように歩いて行くと町道日ノ宗線のアスファルト道に飛び出した。ここからあとは下道歩き。

青々と葉を残す竹林を抜け、貝ノ股の集落を見下ろしながら下って行くと県道。

 

 

 

町道に出てから1.5kmほどで朝一番デポした旧貝温泉に着いた。

沿面距離 10.8km 行動時間5時間50分 時間は14時50分。

予定していた時間をオーバーしたが、笠松山でのコーヒータイムと道外れが無ければ、予想していた14時30分という事で、『さすがリーダー!』と西の奥様からはお褒めの言葉を頂いた。

 

ただ気になるのは今日のもう一つの命題の『いこい食堂』

急いで車を走らせると店の前には非情にも『営業終了』の大きな看板。

『ガビ~ん!』と二人で落ち込んだ後、直ぐに気を取り直して谷岡食堂へ!

こちらも名物は中華そば。コクのある濃い目の醤油味の出汁に、『美味しいわ!』と、何とか西の奥様には満足いただけて胸をなでおろす。

さぁ次はいよいよ晴れて正装?で最後の三崎灯台へ!と思っていたら、前回最後に道を外したシダの藪まで戻って藪の中の三角点まで歩いて大浜へと線を繋ぎたいと西の奥様が仰った・・・・ト・ホ・ホ。

 

 

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残りの山間部1区間はひとまずお休みして沿岸部へ!

 

今週の『線で繋ぐ里山歩きは』山間部では残り1区間となった、塩江~笠松山を歩く予定だったが、先週熊野神社から塩江にゴールした最後に、私が西の奥様に要らぬ事を言ったため、今週は予定変更となった。

その一言とは『この近くの“いこい食堂”の中華そばが美味しいんです。』だった。その一言に意外にも西の奥様が食いついてきて『是非食べたい!』となったのだが、生憎今週予定していた木曜日はお店がお休み。それでも『絶対食べてみたい!』と仰るので、山間部最後の区間はひとまずお休みして、最後に歩こうと思っていた荘内半島を2回に分けて歩く計画に変更した。

 

 

荘内半島の大浜の港で待ち合わせをして一台をデポした後、もう一台で博智山登山口に向かう。登山口の駐車場には昨日降った雨の雫を残して、まだ気温が低い中で桜の花が咲いていた。

 

 

大きな案内板の横を通ってまずは博智山へと登って行くと、毎回の事だけれどまだエンジンが温まらないうちから急登が始まって行く。

 

 

道の脇には三豊の里山のあちらこちら置かれている、ハートの形でくり抜いた背もたれのあるベンチ点在している。そして博智山に相応しい?色々な可笑しな名前を付けた案内板が建っている。

 

 

ひと汗かいた頃にこの山一番のビューポイントの八畳岩に着いた。岩の横のベンチには、石鎚山天狗岳にも置かれている、鉄板をくり抜いたプレートが置いてあった。

意外と重たいプレートを持ち上げて一枚。正面の眼下には林先生の『里山歩きに医者いらず』と書かれた碑のたつ塩生山が見下ろせる。

 

 

 

その塩生山から少し目線を東に振ると、年末に天霧山から縦走した黒戸山の裾野に、年に二日間だけ橋に渡りの板が掛けられ渡れる、津島神社のある津島が見えた。

 

しばらくの間八畳岩からの景色を眺めた後博智山へと登って行く。

山頂には八畳岩にあったのと同じようなプレートが置いてあった。その横の絵馬掛けには、子供たちの可愛らしい願い事を書いた絵馬が掛けられていた。

 

 

そんな絵馬に書かれた願い事をひとつひとつ読んだ後、次の妙見山へと急登を登って行く。30分弱経っただろうか、道の脇に伐採され放置された木が積み上がっていて、その先が山頂だった。

 

 

以前はほとんど眺望のなかったこの山頂も、立木が伐採され詫間の街並みを見下ろせるように様変わりしていた。

そんな中で変わらずキティーちゃんのプレートは、割れてしまったのを誰かが裏からテープを張って修理してくれていた。

 

 

山頂には 三等三角点 城場 319.76m

 

山頂から少し南に歩くと妙見神社横峯山との分岐。ここを右に折れて横峯山方面へ。

もう15年近く前になるだろうか、会社の女の子を連れて歩いた時の千貫松の記憶はあるのだけれど、その手前にあった星の石の記憶が全くない。

これだけ大きな岩なのに記憶がないというのは、以前は岩の上に登れなかったのだろう。今は踏み台の石が置かれているので、奥様でも岩の上に登ってバンザイが出来る。

 

 

 

もちろん以前はここまで周りが開けていなかったのかもしれないが、ここでも木々が伐採されて岩の上から周りを見渡せるようになっている。

北に東西を砂洲で繋がった粟島の全体が見渡せ、南には仁尾の街と今ホットな観光スポットになっている父母ケ浜が見える。

 

 

星の石から直ぐにまた同じような形をした千貫松があった。以前はこの岩の上に千貫松という名前の松が生えていたようだが、今は代替わりして小さな松が生えている。

 

千貫松からも縦走路は続いていく。正面には紫雲出山と今から歩いて行く稜線が見渡せた。縦走路の途中では一本の木から木の根が数百本に根分かれして地表を這っていた。

そうかと思うと一本だけ10メートル近く伸びている根もあり、あまり他では見かけないのは変わった樹種なのだろうか?

 

 

 

 

156mの標高点を過ぎ、横峯山の直前も急登になる。『昨日雨が降っていて良かったわね』と奥様。『これが乾いていたらっても滑りやすかったでしょうね』と。確かに急登になったヶ所はは、少し濡れていた方がグリップが効いて登りやすい。

 

 

横峯山山頂も北から北東にかけての眺望が広がっていた。ここではザックを降ろして行動食を口に入れる。今日は朝には晴れて天気が良くなるとなっていたので、もう少し眺望が良いかと思ったが、雨上がりにしては少し霞んではっきりとしない景色だ。

 

 

横峯山から少し歩いて分岐を左に降りると下り坂になる。正面にはこれから向かう天神山。西の奥様は既に妙見山からこの縦走路を歩いているのだけれど、この天神山には登ってないそうで、今日初めての1座ゲットとなる。

途中で奥様が『こっちに歩いて道は間違ってないかしら?』と言い始めた。『大丈夫ですよ、さっきの分岐にちゃんと道標があったので』と言うと、『えっ、そんな分岐あったかしら?』と。『やれやれ・・・・・。』

 

天神山は地形図では222mの標高点だが、なぜここがYAMAPの山頂ポイントになったのかが分からない。そのお陰でここでも見晴らしを良くしようと木々が伐採されている。

 

 

横峯山からの支尾根の尾根道でも、人が避ければなんでもない場所で、生木が何本も切られていた。この辺りの山頂はどこでもそうだが、とにかく三豊の人は木を切るのがお好きなようだ。

 

分岐まで戻って奥様に『ほら分岐になっているでしょう』と言うと『あらほんとだわ!』と。『ふ~~』とため息一つく私。

久しぶりの昨日の雨に、周りの木々も喜んでいるような気がした。そして雨が止んで気温が上がってきたので、そこらじゅうで鳥たちが騒がしく楽しそうに鳴いている。

 

 

横峯山との分岐から縦走路に戻ると、次に向かうは立石山。その立石山の手前には達磨落としと名札に書かれた岩があった。たしかに台座と上の大きな岩の間に一段岩が挟まっていて、ここを叩き抜くと上の岩が崩れ落ちそうだ。それにしてもこの山域はユニークな名前を付けた岩が多い。

その岩の台座の部分と、手前に横たわる岩は不思議と全く岩質が違う岩がまじりあっていた。

 

 

 

その先の立石山には、今まではど~んと横たわった岩が多かったが、ここでは名前の通りイースター島のモアイ像のような大きな岩が立っていた。

 

 

その岩の横では北側の景色が開けていた、少し西を覗くとあの瀬戸内クラシコのお店が何となく見える。

三角点は 四等三角点 立石山 242.81m

 

 

 

途中で先ほど登った天神山が見えた。ルート図には山頂から南の集落に下れる道もあるようだ。するとまた尾根筋に巨石群。それにしても長い年月で風化するとこんな風に露岩となってしまうのだろうか?その岩の北側に積み重なった岩の下を潜れるようになっていた。本来なら好奇心旺盛な西の奥様が直ぐに潜っていこうとするはずだが、今日は昨日の雨で地面が濡れている。きれいなおべべが汚れるといけないので、『今日はやめときます。』とひと言。

 

 

 

 

この『胎内くぐり』の先が今日最後のポイントの一服山。ここからはあとは大浜まで下るだけ・・・下るだけのはず・・・と思っていたのですが・・・・。

 

 

途中のスパッと割れた大岩。その名も『たろう岩』。その名札を見つけて改めて見てみると『なるほど桃太郎か~』。

細身の奥様は問題なく通れそうだが、私は横になっても下腹の浮き輪が引っ掛かりそうだ。

 

 

 

『たろう岩』から下って行くと舗装路に飛ぶ出した。さぁここから下道歩きで大浜の港には何時くらいに着くかな?と考えていたら、少し道を下った斜面に赤テープが巻いてあるのを奥様が見つけた。『ここから登れるみたい!』とニンマリ笑みを浮かべている。

 

もうすでに気持ちは下道歩きでのんびりと、となっていたので返事をせずにいたら、地形図を見ながら『ここから登って、その先の115mの標高点まで行けば、大浜の港に降りられるわ!』と目を輝かせている。

仕方がないので『ハイ、どうぞ!』と言って奥様を先頭に急斜面を登って行く。幸い所々にテープが見える。

 

 

尾根に出てもテープは続いていたが次第にシダが尾根を覆い始めた。何となく少しは刈られている感じはするが、場所によっては背丈を越えたところもある。

 

 

 

シダの海を抜けると朽ちて潰れた建物と貯水槽なようなものが残る場所に出た。

ここから南に地形図では果樹園になっていたので、以前にはここから水を下手に引いていたのかもしれない。

受水槽跡の尾根ではなく右手にテープが見えたので、そのテープに従って右手に進んで行くとまたシダに囲まれ、最後は行き止まりのようになっていた。左を見ると急斜面にテープが見えたが、一旦廃屋まで戻って尾根を進むことにする。

 

 

尾根の先で小ピークを越えていくが、どうもこのまま尾根を進んで行くと、大浜ではなく鴨ノ越の集落に降りてしまいそうだった。

仕方がないのでキリのいいところで右の斜面を適当に下って行く。もちろんテープはなく踏み跡もない。藪というほどでもないが木の枝に掴まったり掻き分けたりしながら、地形図に載っている実線めがけて降りて行く。

この辺りは西の奥様はこなれたもの。少し離れながらもついて降りて来ている。

 

 

 

10分ほどで実線の道路に出た。道に出た途端に少し右手に見える115mのピークを見て『あ~あそこに登りたかった!』と悔しがっている。『道を確認しに戻ってあのピークまで登ります』と言うので『とんでもない!』とお断りをした。

今日は普通に登山道だけを歩けると思っていたのに、先週と同じように道なき道を歩く羽目になると思ってもいなかった。

実線の道から小集落を抜け、県道を歩いて行くとデポした大浜の港に着いた。

 

 

 

 

今日は絶対木曜日以外に出かけて営業している『いこい食堂』の中華そばを食べたいというのと、夕方早めには帰りたいというので、奥様の自宅に近い今日のルートに計画変更したが、天神山以外は奥様は歩いていたので、それ以外の楽しみとして下山後に詫間の『えびす』さんでカレーライスを食べる予定にしていた。

以前にもこの辺りの山を歩いた後に立ち寄って、美味しいカレーを食べた記憶があったからだ。大浜から博智山登山口まで移動して、2台でお店に行くと時間が遅かったのか準備中となっていた。

そこは奥様、中に入って交渉するとカレーなら食べさせてくれるとなった。

海鮮で取った出汁のルーだろうか、少し辛めで独特な味のカレーに、4種類のトッピングの中から選んだエビフライがプリプリでとても美味しく二人で大満足。

せっかく歩いて消費したカロリーは、夜のアルコールを待たずしてこのお店で反故になったようだ。

来週は塩江で中華そば、再来週最後の三崎灯台まで線を繋いだ後は『瀬戸内クラシコ』でランチと、山歩きと食事の合わせ技が続いていくので、決してお腹の浮き輪は萎んでいかない・・・・。

 

 

今日のYAMAPです。

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『線で繋ぐ里山歩き』熊野神社~三木石鎚山~八丁山

 

今週も『線でつなぐ里山歩き』で、先週のゴール地点の熊野神社から西側の三木石鎚山に登って、その先にあるという石鎚神社に参拝した後、さらに西側の小蓑の集落に下って八丁山に登ったあと、塩江へと下るルートで一台を塩江にデポして、もう一台で熊野神社に移動する計画とした。

 

ただ今回は東側の奥山地区から三木石鎚山への取り付きが不明(北からのルートは歩いている人がいたが)なのと、石鎚神社から小簔地区への下りが、あの鉄塔一筆書さんが難儀されていたので、果たしてどうなるか。西の奥様にも『不明な個所が何カ所かあるので、そのつもりで』と案内をした。

塩江のデポの場所は、道の駅の駐車場は狭いので遠慮して、今は廃墟となっている塩江新温泉の入り口に停めさせてもらった。この温泉、たしか珍しいジャングル風呂があって、小学生の時に親父に連れられて来た記憶がある。

 

新温泉の入り口に停めた後、熊野神社へ移動。旧神山小中学校の体育館跡に駐車させてもらった。まだ冷え切った凛とした空気の中を奥山の集落の中を歩いて行く。

 

 

何軒かの民家の横を通り、西側に見える鶏舎に続く道へと左に曲がると、右手から鎖に繋がれていない白い犬に吠えられ、慌てて奥様が『キャー』と悲鳴をあげる。さらには左の民家にいた2匹の犬にも激しく吠えられた。吠える2匹の犬の前を私を盾にして奥様は通り抜け、鶏舎に続く道へと歩いて行く。

道は舗装路が続いているが松葉が積もって車が通った様子がない。しばらくすると赤いトタンを壁に張った民家の中へと入っていくが、どうもこの家にはひと気がない。

 

 

民家と鶏舎の間を通って進んでいくと、さらに上手には廃屋が見えた。奥山の集落も限界集落の様な感じがしたが、ここまで来るとほぼ消滅集落になっている。そして道なりに進んでいくとやっぱりあった猪除けの柵。

 

今回まず危惧していたのが平場から尾根に上がるときに猪除けの柵で進めなくなることだった。そして最初に考えた尾根への取り付きは熊野神社の西側の広大な耕作地から尾根に登れないかと考えたが、地形図では耕作地と山際が崖の表記になっていたので諦め、次に北側の小さなため池に続く実線を辿ってその先の支尾根から尾根へと登るルートだった。そのルートだとこの柵の先に続く道にため池があるはずだった。

取りあえず背の低い左手の白いトタンの柵を越えて中へと入っていく。

 

 

すると道はすぐに荒れ始め灌木をかき分け進んでいくと、その先で鬱蒼とした竹藪の中に廃屋が現れた。

 

人が住まなくなってもう何十年も経つのだろうか?廃屋はもう竹藪の中に埋もれていっていた。その竹の密集度が高くて、身体を横にして竹と竹の間を通っていくが、メタボな私は時々お腹とザックが引っかかる。

 

すると廃屋の先に地形図にあった小さなため池が現れた。そのため池を横目に竹藪の中を進んでいく。

予定していた支尾根へはため池の水口の左手へ行かなければならなかったが、その方向は今以上に荒れたように見えたので、そのまま右手の尾根筋へと登って行く。人の手が入らなくなった竹林は荒れ放題。竹と竹の間には灌木が生え、まともには登って行けない。

 

 

 

それでもそんな竹藪を抜けるとなぜか薄く踏み跡らしい道が続いていた。獣道にしては雰囲気が違っている。途中で倒木を潜ったり跨いだりの障害物競争の様相となったが、まぁとにかくさっきまで竹藪と比べると随分と歩きやすくなった。

 

 

やっとのことで三木石鎚山からの稜線に出ると、そこは想像もしてなかった広い作業道になっていた。たしかに事前に下調べをした時に、航空写真には尾根に沿って木と木の間に道らしいものが見えていたが、これほどちゃんとした道だとは思わなかった。



 

途中で何カ所かでススキの生えた場所があったが、まったく問題なく歩いて行ける。すると道の脇に三体のお地蔵さんが祭られていた。

峠でもないような場所だけれど『なぜ?』と疑問が湧く。この道が石鎚神社への参道なのか?それにしても道の幅からして重機で造られたような道なので、参道ではないような気がする。

 

 

道は時々倒木(竹)があり、ここでも潜ったり跨いだり、枯れた竹を避けながら歩いて行く。道が尾根の西側から東側になると、木々の間から遠くに矢筈山が見えた。『先週歩いて来たけど、随分遠くに見えるわね』と西の奥様。

 

 

そしてまた両脇が竹林になる。それにしても普通竹林は里山の山裾にあるのだけれど、500m近いこんな高さの尾根筋にあるのも珍しい。

地形図を見ると550mの三角点になっている三木石鎚山に近づいていたが、道から尾根筋を見ると結構荒れた雰囲気だったので、取りあえずこの道を歩いて三角点の反対側から尾根に登ってみた。

 

山頂は木々に覆われ 三等三角点 津郷 550.36m の柱石があるだけでだった。

 

山頂から引き返し尾根筋からまた道に降り竹林の間を抜け、またススキの生えた場所で地形図を見ると、ダウンロードしたはずの鉄塔一筆書さんのトラックが記録されていないのに気が付く。

今回一番の肝となるはずの、中筋地区へと降りるルート。参考のためにダウンロードしていたのに・・・。仕方がないので、麓の中筋地区から続く実線と民家らしい場所への降り口を、道の脇から見える尾根筋と地形図を見比べて下り口を決めた後、さらに進んでいくと少し先に鳥居が見えた。鉄塔一筆書さんや虫64さんが活動日記に書いていた石鎚神社の鳥居だ。

 

 

鳥居の脇には手洗鉢もあった。ということは今歩いて来た道はやはり石鎚神社への参道なのだろうか?

それにしてもこの尾根の東側の奥山には大山祇神社があり、西側の小蓑には熊野神社がある。その二つの神社の真ん中でこの尾根にある神社には、どちらの集落の人たちが参拝していたのだろうか?

 

鳥居からはいったんロープが張られた坂を下り、鞍部からまたロープが張った急登を登って行く。細い木の枝をかき分け登って行くと目の前が急に開けた。

 

 

皆さんが石鎚神社と書いている場所には小さな石祠が祀られていた。すっかり葉の落ちた木々のお陰でぐるりと周りが見渡せる。

まずはここまで無事に来られた事にお礼をする。

 

 

祠の前からは南西に見える一番奥は竜王山の稜線だろうか?そこから右に視線を振ると、綾歌竜王山越しに飯野山が見えた。

 

 

時間はまだ11時だったが、ここからが今日一番不明なルート。小蓑まで下るのに1時間程度とかかると考えると、また西の奥様が『お腹が空いた』と騒がしくなる。少し早いがここでお昼ご飯にする。

風もなく朝の冷え込みからは考えられないくらい日差しが暖かく気持ちがいい。

 

昼ご飯を食べた後、鳥居の手前で目星をつけていた中筋地区への下り口から尾根筋を下って行く。尾根筋は思ったほど荒れていなく、木の枝を避けながらも楽に下って行けた。

後で確認してみると、鉄塔一筆書さんが下ったルートと偶然にも途中までは一緒だった。『その先で藪が酷く八方塞りに』と書かれた場所からは、私たちも北に進路を変えて降りて行く。

 

 

当然道はなくて、地形図に載っている最終民家を目指して、ますます酷くなる竹藪の中、枯れた竹をバリバリと踏みつけながら下って行く。中が空洞の竹の割れた乾いた音が周りに響き渡る。

 

 

 

竹藪の密度が薄くなってくると小さな沢筋に出た。水の流れは少なかったが、その沢を跨いで反対側に上がり、さらに下って行くとビニールハウスの手前に着いた。ここが地形図に載っている実線の終端の最終民家らしかった。

 

 

 

ビニールハウスは堆肥生産場と書かれていた。この場所に民家はなく納屋があるだけ。さらに少し下って行くとまだ住まわれている立派な民家があった。

 



 

日当たりのいい畑を見下ろしながらどんどん下って行くと、廃校となった校舎を利用した『希少糖生産技術研究所』と書かれた建物が見えた。

奥山地区でも人口はそれほど多くないと思うのに、校舎は立派な造りになっていたし、ここでも大きな体育館らしい建屋が見える。

また県外の山の中を歩いていても、けっこう山奥の集落にも廃校となった校舎が残っている。その当時は、いかに教育を大切にしていたかが伺える。

その建物の横に続く県道に降り立ち、北に向かって舗装路を歩いて行く。

 

下の虹の滝に流れる小さな川を渡り、すぐに左に折れてまた山裾へと歩いて行く。先ほど奥山から同じように山裾へと入ったときはほぼ廃屋ばかりだったが、ここではまだ民家で暮らす人の気配があった。

ここからは二手に分かれる場所では左に左にと進んで、山の中へと入っていく。

 

 

 

最後は右手に上がる道を登って行くが、道は次第に荒れ始め大きなヌタ場が現れる。地形図の破線は尾根筋近くまで延びていたが、どうやらその破線からは外れてしまったようで、谷筋へと入ってしまった。

 

 

 

所々にヌタ場がある谷筋の先は怪しげだったので、、左手に見える尾根筋に無理やり登って行く。木の枝を掴み、木の根元めがけて飛び移りながら、何とか尾根筋に登りきると、そのまま八丁山に続く稜線に出た。

 

 

小さなおできの様な小ピークの急登を越え、さらにもう一段急な坂を登ると506mの標高点に着いた。

 

 

 

標高点から少し下って行くと、ここでも少し尾根筋から外れてしまう。

またヌタ場が点在する湿った杉林の中を何とか抜けると、本来の八丁山への尾根筋にまた出た。

 

 

 

一カ所踏み跡が二手に分かれた場所で間違えそうになって引き返すが、あとは道が分かれば西の奥様のスピードはどんどん上がっていく。506mの標高点から30分ほどで、北からの八丁山の登山口との分岐に着いた。

 

 

ここから残り100mを登り切れば八丁山だ。

 

八丁山山頂には白峯神社の石祠が祀られていて、周りはここが山の中だとは思えないくらい掃き清められていた。鳥居を潜ってここでも、ここまで無事に来られた事へのお礼を言う。

 

 

まるで住職の居るお寺の境内のように、掃き清められた上に付いた私たちの足跡が気になり、一応履き掃除する(ほんとうかな?)

 

石鎚神社でのお昼ご飯の時に西の奥様に、この後の時間を聞かれ『ここから小簔へ降りて12時30分。小簔から八丁山へは1時間30分として14時くらいかな?』と答えた通り、時間は14時。ここから塩江までは1時間と答えていたので、15時には下山できる予定だ。

山頂から507mの標高点を目指して下って行く。

 

途中から見えたピークが507mの標高点。鞍部まで下った後に急登を登って行くと、そこには武庫山と書いた山名札が掛かっていた。

 

 

 

武庫山からさらに下って行くと目の前が一気に広がり、大きな反射板が建っていた。他の山で見かける反射板は建てられてから結構年数が経ったものばかりだが、この反射板は意外と新しく、5年前に完成した椛川ダムの為の反射板となっていた。

 

 

ここからは南西から西にかけての山々が見渡せた。来週歩く予定の笠松山やさらに堤山、奥には大高見峰や高鉢山も見渡せた。

 

 

 

反射板からはロープの張られた急坂を下って行く。

所々で登山靴が埋もれるほど落ち葉が積もっているので、ここのロープは今の季節には随分と助かる。

 

 

そのロープはかなり山裾まで続いていた。自然林の尾根筋から植林地の中になってもロープが張られていてテープの代わりに道しるべにもなっていた。

その植林地を抜けると作業道になり、さらに道の脇がオオシダになるとしばらくして住宅地に降り立った。

 

 

 

塩江温泉第一団地と書かれた住宅地を抜けると、ちょうど朝デポした場所に着いた。

 

今日は11kmほどの距離を6時間30分ほどの行動時間という結果。机の上で難しく考えていたよりは実際に歩いてみると、少し道外れはあったものの藪漕ぎも楽しく、西の奥様も喜んでくれた。(足元の悪い斜面を四つん這いになて登ったり、木を頼りに急坂を下ったり、藪漕ぎしたりするのを楽しいと思う女性は珍しいが)

 

さあ次週はこの場所から星越え峠から笠松山へと登るルート。ここはすでに鉄塔一筆書さんが歩いた活動日記があるので、ぜひ参考にしてチャレンジしてみたい。

引田から詫間までの『線で繋ぐ里山歩き』も残すところ2区画となり、花の季節までには何とかモノになりそうだ。よ~しがんばるぞ!

 

今回のYAMAP

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