天気予報は晴れマークに変わった。そうだ中津峰山に行こう!



2年ほど前から冬のシーズンに始めた、県内の東西の岬の灯台の間を里山で線を繋ぐという企画も残すところ4回で終わりそうだ。今シーズンの手始めに今回は、壇特山から東女体山を繋げる予定だったが、このルートはとにかく眺望がほとんどなく、ただただ線を繋げる為のあまり面白みのない道だった。

 

そうこうしてるうちに水曜日が、曇り時々晴れから晴れマークに天気予報が変わった。それじゃせっかくなら見晴らしのいい山にという事で、昨年からずっと考えていた中津峰山に予定を変更。今年に入ってアカリプタさんが歩いていた金谷からの周回コースを辿る事にした。

 

中津峰山に登ったのはもう15年近くも前、その時は五滝の方から往復したので今回のコースは初めてとなる。しかも周回コースだと平石山多家良山を含めて3つのYAMAPポイントをゲット出来るとあって、西の奥様といそいそと出かけて来た。

徳島南部道路が出来てからは市内を通らずに行けるので、自宅からは1時間強で金谷の駐車場に着いた。駐車場には既に数台の車が停まっていた。

 

駐車場の手前の道の脇に登山口。いきなりの急登を登って行くと畑地の跡だろうか道の脇には石積みが残っていた。

 

 

 

しばらく登って行くと前を行く西の奥様が『大きな松葉!』と仰るので、足元を見てみるとたしかに普段見る松葉の何倍もの長さの松葉が落ちていて、その周りにはそれこそ数倍大きな大きな松ぼっくりがいくつも転がっていた。

『奥様にお土産にしたら?』と西の奥様が仰るのでビニール袋に何個かを詰めてザックに入れる。すると下からソロの女性が登って来たので、『大きな松ぼっくりですね』と声をかけると、『私も持って帰るわよ』と応えてくれた。(その松ぼっくりの写真を取り忘れた)

 

道は松葉の道からシダの道に変わる。北から続く尾根道は日陰で、時折日差しが差し込むがまだまだ肌寒い。

 

 

すると急に明るくなったかと思うと目の前に眺望が広がった。ここから続く尾根の奥に見えるのが、おそらく平石山中津峰山

『あんなに遠くに見えるのに歩いて行けるなんて不思議ね』と奥様。道はしばらく若々しい緑の色のシダを掻き分けて続いている。

 

 

尾根の途中に三角点 四等三角点 池谷 141.74m

 

三角点を過ぎて今度は竹林の脇の道になったかと思うとまたシダの道。その道の陽当たりが良くなったら東側に、紀伊水道日峯山が見えた。

 

 

 

 

その先では露岩が現れ急登を登って行くと幅の広い道に出た。ここでは左に折れて杉林の中の道を歩いて行く。道の路面は地道ではなく舗装がされている。周りの雰囲気から林道でもなく作業道の様な感じもしない。

 

 

 

二つの大岩の横を抜けると三体のお地蔵さんが並んでいた。その内の一番手前のお地蔵さんは首から上が不自然なので、よ~く見てみると首の付け根に黒いボンドらしいものが付いていた。首から先が落ちてしまったのを誰かが修復したのだろうか?

 

 

一番大きなお地蔵さんには『右津峯道 二十丁』と彫られているけれど、阿南の津峯神社への道なのか?それにしては二十丁では距離が合わない。

 

お地蔵さんから先で道は下り気味になり、奥様はそのまま歩いて行こうとするが、道の右脇に小さな道札が見えたので奥様を呼び止めた。登山道は幅の広い林道?から尾根筋へと続いていた。

 

途中にあった道標は、初めて来て土地勘が無ければ少々分かりづらい。帰ってから地形図を見てみるとどうやら平石山から朝立神社への道が続いているのが分った。

 

道標を過ぎるとまた目の前が明るくなって鉄塔広場に出た。広場からは北に向かって眺望が広がり、電波塔と峰続きでホテルのある眉山がすぐに同定できた。

 

 

鉄塔広場で標高450mほど。『山頂までまだ300mもあるわね』と奥様。『そうすると屋島くらいですね』と私。

道はしだいにまた斜度を増してきた。落ち葉や松葉が積もった滑りやすい道が続いていく。

 

 

途中にあった石柱には初めて見る『公山』と彫られていた。

 

急登にあえぎながら登って行くと、さっき見た道標と同じ緑の板には、平石山中津峰山への時間が書かれていた。YAMAPのコースタイムよりは若干短めに書かれているが、平石山から中津峰山へと歩くと12時は過ぎるので、『いつもより少し遅くなるけどお昼は中津峰山の山頂で摂る事にします。』と奥様に告げる。

一応そう奥様に言っておかないと、途中で『お腹が空いた~』と騒ぎ始めるといけないので・・・・。

 

道標からひと登りすると尾根に出た。ここから左に行くと平石山、右に行くとここからも中津峰山に行けるようだ。分岐から平石山へは一旦下って行く。道には地籍調査のピンクやオレンジのテープがそこらじゅうの木の枝に巻かれて、そのテープが尾根に吹き上げてくる風に吹かれてゆらゆら揺れていた。

 

木々に囲まれた平石山は眺望はなかったが、山名標の足元に徳島のや山ではよく見かける『ヤッホー地蔵』が置かれていた。

 

 

平石山から折り返し分岐を過ぎて中津峰山へと登って行くと、これで前回初めて見た真新しい『地積図根三角点』が設けられていた。

周りの木々が刈られて北側には徳島市の市街地が見渡せた。

 

 

 

図根三角点からは尾根沿いに地籍調査の杭と目印のテープが続いていく。先ほどの図根三角点やこの杭を見ると、つい最近地籍調査が行われているようだった。

 

途中の露岩からは今度は東から南の眺望が広がっていた。

東は小松島市の南部の田園地帯、南は勝浦町道の駅ひなの里があるのが分る。

 

 

 

空は雲一つない空と言いたかったが、ひとつだけぽかりと綿菓子のような雲が、気持ちよさそうに浮かんでいた。

 

平石山で行動食を口にしようかどうしようかと迷いながらも、そのまま歩いて来たのが良くなかったのか、中津峰山山頂手前のだらだらと続く登坂で、シャリバテで足が動かなくなった。早くお昼ご飯にしたい奥様はすごいスピードでどんどん先を歩いている。

 

フウフウ~ハアハア言いながら小股で少しづつでも登って行くと、その内に話声が道の上の方から聞こえて来た。

すると見覚えのある石垣が現れた。石垣の奥には天津神の拝殿が見える。お腹を減らした奥様には待ってもらったが、これでやっとお昼ご飯にできる。

 

 

拝殿で手を合わせてその先の石垣を潜ると、下のベンチで数人の人が休んでいた。

スタート直後に松ぼっくりを拾っていた時に会った女性も座っていたので、挨拶をすると、軽く会釈をしてくれた。

 

 

ベンチの奥にはその松ぼっくりで作った可愛らしいオブジェが仲良く並んで吊るされていた。人工物ではなく山にある自然なもので作っているのがとても感じがいい。

 

 

東屋の椅子に腰かけて待ちに待ったお昼ご飯にする。後ろにあるベンチで食事を終えた年配のご夫婦に話しかけられた。

『水曜日にはこうして皆さんが集まって来るので、私たちも水曜日に合わせて登って来るの』と。

『どちらから登って来られたの?』と聞かれたので、『金谷からです。』と答えると、『そっちのコースはキツイって皆さん仰ってますね』と話してくれた。よく来ているようだが金谷からは登ってきたことがない様だった。

さらに話をしていると毎回、如意輪寺に車を置いて登っているそうだ。そう話してご夫婦は柔らかい口調で立ち去る間際まで話しかけてくれた。

お昼ご飯を終えて、山名標の前で写真を撮って下山開始。

 

 

しばらくは整備された四国のみちを下って行く。途中にある前回登ってきた五滝への分岐の道標も、手作りで小さく可愛らしい。この山はどこかの山のように仰々しい道標や、山頂での山名を描いた派手な写真を置いている訳でなく、遠慮気味に作られているのがいい感じだ。

 

 

 

そんなことを思いながら杉林の中の道を抜けると舗装路に出た。ここがいやしの道登山口になるようだ。ここからしばらく舗装路歩き。道の脇に電波塔と共同アンテナ?の立つ横を通って行くと、背の高い杉の林の中を5mほど麓に向かって伐採された防火帯?らしき場所に着いた。

 

 

ただ防火帯にしては幅が狭すぎて、山火事になったら両側の背の高い杉の木からの延焼を防ぐのは難しいだろうから、何か別の意図があるのだろうか。

 

防火帯?の手前からまた杉林の中の道になる。杉林から自然林の道になると道の脇が鉄塔広場になった。

ここからは遠く淡路島との間の大鳴門橋や、手前に市内の南西にある、徳島動物園の観覧車も見えた。

 

 

 

鉄塔広場をあとにすると直ぐにまた里山らしいシダの道になる。

この辺りで三つ目の山となるはずだった多家良山を随分手前で見逃していたのに気づく。

 

途中の道標札も自然な感じでいいなあ~と思っていたら、底のへこんだ赤いヤカンが置いていた。さっきの札には『いやしの道』と書いてあったが、確かこの道は『ヤカンコース』と呼ばれているらしかった。

 

 

最後に木の枝にぶら下げられたヤカンを見て奥様が『こんなヤカンあったわよね』と。たしかに我が家でもこんな絵柄のヤカンがあったような気がする。

 

ぶら下がったヤカンを過ぎると、朝登山口近くで見た石積みが長くしかも何段も積まれて続いていた。畑の跡には違いないが何の畑だったんだろうか?

 

そんな石垣を眺めながら下って行くと金谷の里の道に出た。

登山口には大きな丸太で道標が立てられ『ヤカンコース』と書かれていた。

 

 

先週は5つの山を登ったけれど、その一つひとつは200m前後の山だった。今日は年明け最初で山登りしたと実感できた山行だった。

香川の山だと2~300mの里山で常連さんたちが、腰を下ろして談笑している姿は見かけることはあるが、700m以上登って集まっている山なんて恐らくない。高山のある徳島の人にとってはそれでも里山なんだろうか?と感心しながら家路へと向かった。

 

今回のYAMAPdesu.

 

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新春初登山でYAMAP山頂ポイント4座ゲットだぜ!

 

馬山で新春早々エントツ山さんとお会いして気分を良くした二人は、三郎池の駐車場まで戻って、最後のも目的地の公渕公園に移動して、まずは池の突堤でお昼ご飯。その後公渕公園第八駐車場に車を停めてスタートする。

二子山・善光寺は息子が幼稚園の頃に公園のアスレチックで遊んだ後に一緒に登った山。そして城山もその後独りで登った既登の山だったが、YAMAPでのポイントはまだゲットしてない。当然西の奥様はお初の山だ。

舗装路から道標に従って游

 

西側の登山口から山の南側、そして東側へとぐるっと回り込むように道は続いていた。

途中にあったH鋼の桁と手すりの付いた鉄製の橋は、どう見ても人が2~3人乗っても安全性には問題ないように思うのだが・・・・。

 

その橋を過ぎ、善光寺との鞍部から西に向かって展望台へと歩いて行く。道標の前には最近あまり見かけなくなった立派な消火栓が立っていた。

 

山頂には丸太で組まれた屋根付きの東屋があった。息子と来たのはもう20年以上前にもなるだろうか。展望台はその当時と比べてみてもあまり痛んでもいない様子で、普段から手入れがされているのだろうか。

 

展望台からは由良山から見えた景色よりも更に広く高松市の市街地が見渡せた。

一番近くにはクレーター五座由良山。そして少し東には讃岐七富士の白山とその奥には北山も見える。

 

 

 

 

すると東の空から飛行機の飛ぶ音が聞こえてきたと思ったら、直ぐに高度を下げながら着陸態勢に入った白い機体の羽田発のJALだった。

暫くすると今度はANAの機体が着陸して行った。駅のホームで見る新幹線もそうだけれど、飛行機も近くを飛んでいる姿を見ると何故か心が躍る。

 

 

このさぬき里山会の山名標も20年前にもあった記憶がある。

三角点は 三等三角点 二子山 180.31m

 

 

展望台でゆっくりとまわりを見ながら里山の山座同定をした後、一旦鞍部まで戻って東に向かって善光寺へと歩いて行く。葉がすっかり落ちた尾根の道はとにかく明るい。

 

山頂は広場になっていて木の幹に色褪せた自然木でできた山名札が、松ぼっくりの飾りを付けて掛け垂れていた。

 

善光寺からも山頂の周りをぐるっと回りながら降りて行く。この時期ほとんど歩く人がいないのか、落ち葉がたっぷりと積もった道だった。

遊歩道から一旦車道に降りて最後の城山に向かって下道を歩いて行く。

今日は気温はさほど高くはなかったが、乾いた空気と明るい日差しで気持ちよく歩いて行ける。

 

 

 

 

先ほどの馬山よりもこちらの取り付きが分りづらかった。民家の横を遠慮気味に通って、お墓の手前を左に折れて竹林の中へと入って行く。少し荒れ気味の竹林だったが竹林が終わると、馬山と同じように急登になってきた。

 

 

この山も歩く人がいないのか、急な坂の上に落ち葉がたっぷりと積もって、とにかく足が滑るので、小股で用心深く登って行く。

 

 

それでも取り付きから25分ほどで山頂に着いた。城山の名の通り山頂は平らで広場になっていて、北側に木々の間から少しだけ景色が眺められました。

遠目に見ても急勾配の厳しい山この城山。戦国時代に長曾我部軍の攻撃を防ぐために城主の植田美濃守は本陣をこの山に遷し、天然の要塞として利用しようと考え、秀吉側の軍師黒田菅兵衛が難攻不落と判断して、攻撃を避けたと云われる山城というのも頷ける。

 

 

 

山頂の北端には金毘羅社が祭られていて、祠の横には古く朽ちかけた祠が横たわっていた。以前と比べると今は草木が生え眺望もあまり良くないので、今日最後の山の城山を後にする。

山頂からは急坂と厚く積もった落ち葉で、珍しく西の奥様が足を滑らせた。私も滑らないようにと足を踏ん張るとやはり膝が痛んできた。

 

 

 

それでも何とか滑るようにして降りた後は、公園の駐車場までの下道歩き。途中畑の横には懐かしい手押しの井戸ポンプが残っていた。

今日は由良山の異空間。そして馬山でのエントツ山さんとの再会。さらには二子山での絶景の里山眺望と、予想以上の収穫のあった一日だった。

 

 

今回のYAMAPです。

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干支の山の前に初踏の由良山


新春初登山は干支の山をと、西の奥様をお誘いして三郎池に集合した。ただ干支の山の馬山だけでは、わざわざ西讃から来てもらうのにもったいないという事で、近くの由良山、そして少し車を走らせて公渕公園の南にある、二子山・善光寺山・城山に登る事にした。これなら西の奥様が未登の4座をゲットできる。

計画では初踏は馬山の予定だったが、考えたら北側の由良山からスタートして南に移動した方が効率的だし、眺望のない馬山よりは見晴らしのいい由良山で朝の光を浴びた方が気持ちがいいだろうと、急遽予定を変更して先ずは由良山から登ることにした。

 

山の南東の麓にある清水神社に車を停めて、裾野を西に向かって砕石場の作業道として使われていた舗装を歩いて行く。

 

すると道から少し山側に入るとまず最初の砕石場跡があった。

高さは数十メートルのほぼ垂直に近い見事な柱状節理。雲母安山岩の淡い茶色と青色が混ざった表面の色は、この辺りの山ではあまり見られない岩肌だ。

この狭い空間になぜかシュロの木が何本も生えていて、南国の不思議な雰囲気を漂わせていた。

 

 

 

この後も2カ所ほど砕石場の下に水たまりで池になった場所があった。馬蹄形で高い岩壁に囲まれた池は、今日は風が当たらず波が立つこともない表面は、周りの景色をそのまま映し出して、本当に鏡のようだ。

睡蓮の池と名付けられた池には水際に丸い葉が浮かんでいたが、季節外れで今は花はなく、花の咲いた時期になるとまた違った雰囲気になるのだろう。

その水鏡を眺めながらしばらく立ち尽くす。こんな異空間が高松の市内にあること自体が不思議な気持ちがした。

随分前にも来た時は、たしかにこの空間には驚いたけれど、ここまで水面が周りの岩肌をきれいに写していた記憶がない。

 

 

 

傍らに不動明王の石仏

 

道の脇にはその由良石の歴史が書かれた説明板が立てられていた。

 

道の脇の採石場から道まで戻って更に歩いて行くと、背の高い電波塔の次に防空壕があった。中は意外と広く何方向かに抜けられるような造りになっていた。

 

 

その防空壕を過ぎると西の登山口。人工的に取り付きからは岩を削ったような石段がしばらく続き、その後はコンクリートブロックや木の丸太の急な階段が続いていた。

 

 

それでも直ぐに山頂に着いた。

結構な広さの山頂は北に眺望が広がっていた。東に向かって石鎚神社の祠と竜王社の石仏が建っている。

 

 

北を見ると高松市内のほぼ全域が見渡せる感じがした。背高ノッポのシンボルタワーの辺りがサンポート。本当に平らな屋島の横には、鼻の高い外国人が寝そべったような顔の形をした五剣山が見える。

 

 

 

そんな景色を眺めていたらその横で、西の奥様はテーブルの上に置かれている記帳ノートの入った缶の中を物色していた。

 

山頂広場の南側には 三等三角点 由良山 120.29m

三角点表示杭の横には可愛いリスがいた。

 

 

山頂から今度は東へと下って行く。北側と南側を削られた尾根は、狭い所だと幅数メートルの痩せ尾根になっていて、その両側は100m近く切れ落ちていた。

踏み固められた尾根から急坂を下って行くと、東登山口に降りたつ。

 

 

 

登山口は清水神社の境内。神仏習合の名残か境内には由良大師堂があった。大師堂にお参りした後神社の拝殿で参拝を済ませた。

採石場の跡や山頂でもゆっくりしても1時間ほどで周回できた由良山。手軽な割には高松市内の里山をほぼ見渡せて、意外でそして不思議な景色を見ることが出来て大満足で次の馬山へと向かった。

 

 

 

今回のYAMAPです。

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今年も初登山は干支の山で。そして嬉しい出会いが・・・!

 

年明けは毎年恒例の干支の山。今年は馬年、そしてそのものずばりの名前の『馬山』高松市内にはある。クレーター五座の内のひとつの馬山は、地名は三谷町馬山となっているが地形図には表記がなく、普段はそれほど注目されていなかったが、今年は一気に晴れ舞台で注目されることになった。

山友のREIKOさんえ~ちゃんさんも既に登っていたので、後追いで西の奥様と登ってきた。

 

朝一番はまずは近くの由良山に登ったあと、三郎池の駐車場に車を置いて登山口まで歩いて行く。三郎池越しには上佐山雌上佐山が並んで見えた。

最近ではこの上佐山からの峰続きの雌上佐山日山の西隣の雨山を入れて、クレーター五座を七座と呼ぶ人が増えてきた。

 

(右から馬山・実相寺山・日妻山

 

三郎池の渕に沿って歩いて行くと、この辺りはブロッコリーの栽培が盛んなようで、至る所で大きな青々とした葉畑が続いていた。

(日山と雨山)

 

YAMAPの地図を見ながら登山口の手前まで来ると、山の方を見ながら女性がキョロキョロとしていた。そしてその後ろから男性がこちらに近づきながら『すみません。馬山の登山口はどこですか?』と尋ねて来た。

その顔を見て直ぐに『エントツ山さん!』と声をあげると、一瞬ピンと来ていない様子だったが、近くまで寄ってくると『KAZASHIさん?』と応えてくれた。

一緒にいた女性は娘さん。最近は堂山で里山女子隊を結成してその顧問としてエントツ山さんが付き添いをしていたのは知っていたが、お会いするのは今日が初めてだ。エントツ山さんとは、一昨年にアカリプタさん大山の三ノ沢から剣ケ峰に一緒に登って以来。

それにしても何という偶然。予定では今年の初踏を馬山と思っていたが、朝に西の奥様と待ち合わせをした駐車場で、朝一番を由良山からのスタートに切り替えたのが幸いした。『それじゃ~』という事で山頂までご一緒する事になった。

 

以前は取り付きにピンクのテープがあったように思うのだが、今日はどこにも見当たらない。道の脇の水路に掛かる床版を渡って畑の中の道を山の中へと登って行くと、直ぐに竹林となる。

2022年に登った時は放置されていたのか、枯れた竹がそこらじゅうで倒れて荒れた竹林だったが、今日はそんな竹は道の脇にきれいに積まれて歩きやすい道になっていた。

 

エントツ山さんを先頭に登って行くと道はしだいに急登となってきて、少し汗ばんできた。道は竹の細かな落ち葉が積もって滑りやすい。

登山口でストックを持っている私を見てエントツ山さんが、『この山でストックなんている?』と言われたが、『やっぱりストックがあった方が良かったな~』と言っている。

山頂手前になるとさらに急登となってきた。娘さんは『堂山よりキツイやん!』と言っている。どうやらエントツ山さんに『手軽な山だから』と誘われて付いてきたらしい。

 

 

途中もそうだが山頂は木々に囲まれて見晴らしは全くない。そのせいもあって五座の中では一番目立たない山だった。

するとエントツ山さんがザックから何やら取り出し下準備をし始めた。

近寄って見てみるとそれは可愛らしい馬のイラストを描いた絵馬だった。

 

エントツ山さんが絵馬に開けた穴に針金を通して準備をしたら『手伝って!』と言うので二人で山名標の上に括りつけた。

その後まずは二人で偶然の再開を祝して記念撮影。

 

 

それぞれ三人で記念撮影!

 

 

しばらく談笑したあとはエントツ山さんはもと来た道を、我々は西側へと降りて行ってお別れをした。

山から住宅地の上へと降りると、下からご夫婦が上がって来て『馬山はここから登れますか?』と尋ねられた。反対側の我々が登ってきた登山口が分らずにぐるっと回り込んできたらしい。

 

今はだいたいの山がYAMAPにルートが載っているので、登山口も判るようになったが、以前はマイナーな里山はとにかくと取り付きが分らずにウロウロして、藪コギをしながら登ることが結構あった。そして迷いながらも山頂まで登ると、山頂からはちゃんとした道があったりしていて、ひとりで笑ってしまったりしていたが、今はそんなことがほとんどなくなった。

それでも年に何回かはYAMAPにも載っていないルートをわざわざ歩くと、途中で右往左往しながら迷い歩く楽しさ?を味わうことが出来る。

今年もそんな山歩きをしていきたいと、藪コギ大臣の大先輩のエントツ山さんと再会して改めて思った。

 

 

今回のYAMAPです。

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念願の天霧山南尾根を這い上がる!

 

西の奥様が毎回通るたびに鳥坂峠を越えた辺りで目についていた、天霧山の南尾根。

『以前に比べるとどんどん削られている感じなの』と。『でもあの削られた斜面を登れないかと、いつも気になっている』と、会うたびに結構な頻度で口にしていた。

 

『それなら今年最後にその南尾根をやっつけましょう!』そう言って、またネットで色々と調べてみると、YAMAPにkirichanさんが一年前に登った活動日記が目についた。

そこには『天霧山尾根登り、良い子はマネをしないでね』とタイトルに書かれていた。

『マネをしないでね』と言われると、なおさら興味が湧いてくるのが人というもの。

さらにはエントツ山さんが登っていた記憶もあったので、調べてみるとかなり前の平成23年に登っていた。

エントツ山さんが登った時はちゃんと?した木々の生えた南尾根だった。)

 

今日の南尾根は山肌が削られ露わになっている。

 

お二人の様子を確認して、西の奥様と今日もワクワクしながら出かけてきた。

まずは天霧山から黒戸山へ縦走した後の下山場所の近くに一台をデポして、もう一台で南尾根の麓の『吉原大池さざなみ公園』に車を移動してスタートする。

公園の奥から見える天霧山南面はけっこうな範囲で伐採が行われているのが分る。

 

 

公園の駐車場から北東に牛願寺の横を通って山間を登って行くと、薬師堂の横の広場に、勤皇の活動家で幕府に追われて西郷隆盛とともに薩摩の海に身を投げた月照とその弟の信海の像が立っていた。

 

 

 

石像の前に書かれている説明板を見た後、薬師堂の手前のコンクリートの坂道を登って行く。この道は地形図にも細かく九十九折れの実線が載っている道。

kirichanさんは駐車場から南尾根に直接取り付いていたが、上の作業道までが藪コギでイバラも結構生えている様子だったので、その区間を避けてのルート選択。

九十九折れを曲がるたびに道にはスプリンクラーが立っていたが、周りは木々が生い茂り畑だった様子が全くしない。

 

 

その内に上の作業道らしき道に出た。少し荒れた道だったが右手に向かって進んで行くとアスファルトの作業道になった。道の脇にはコンクリート造りの給水槽があり、反対側には緩やかな斜面に果実の木々の立つ畑になっていた。

 

 

作業道を東に進んで行くと折り返しで斜め上に続く道があった。(エントツ山さんはこの斜道の突き当りから山側に登っている)

その斜道を少し登ってすぐに山手の木々に中へ入り、適当に上に向かって登って行くとスズタケ藪になった。

スズタケを掻き分け掻き分け登って行くと、地形図では土崖になっている場所にすぐに近づいてきた。

 

 

最後にスズタケを握りながら身体を持ち上げ、盛り上がった土と岩を越えると、奥様が目にしていた削られた山肌に飛び出した。

斜面には重機が通った跡が上の方まで続いていて、右側は辻村建設の採石場になっていた。

 

 

奥様はニコニコしながら『上まで登れるかしら』と言っているが、私はそれよりも砕石場の人に怒られないかとドキドキしながら登って行く。

斜面は重機が通って踏み固められていたので、予想していたよりも登りやすい。その重機のブレードで斜面を堀削って行ったのか、脇には大きな岩がゴロゴロ積み上がっていた。

 

 

振り返ると東に高速道路がうねった先に飯野山が見え、少し南には善通寺五岳やまんのう町の里山の峰々が見渡せた。

 

 

 

斜面に重機の通った跡が消えると、ゴロゴロ岩の斜面になる。鳥坂峠から遠目で見ると気が付かなかったが、この斜面の終点には四角い構造物があるのが見えた。

さっきまでの固まった土と比べると、足を置くと岩が動くのでとても歩きづらい。斜度はどんどん急になるばかり。あまり体重をかけずに足元が崩れないようにゆっくりと登って行く。

 

 

 

四苦八苦して登る私たちの苦労とは関係なく、周りの景色は申し分ない。空には雲が多いけれど意外と遠く法皇山脈まで見渡せた。

下から見えた四角い構造物は作業道でも見たコンクリートの給水槽だった。今にも崩れ落ちそうなくらいその給水槽の際まで削られている。

 

 

 

給水槽の右手は下からも見えていた垂直の崖になっている。ここからは左の伐採地の中に入って行くしかない。ただし伐採地はどこでも荒れているので、出来るだけ給水槽に向かって崖の際を登って行く。

伐採された木の枝を握り、足で踏んで掻き分けながら乗り越え登って行く。それにしてもいい歳したおっさんが、何やってるんだろうと毎回思ってしまう。

 

 

時々生えているイバラと密集した藪に苦戦しながらも何とか給水槽の上に登ると、屋根はデッキプレートで蓋をしていた。この間で長いストックが邪魔になっていたので、たたんでザックにしまう。

奥様は相変わらずデッキの端っこに立って景色を眺めている。

 

 

 

給水槽からも藪は続いていく。足元は伐採された枯れた枝が積み重なっていて、足を置くと踏み抜いてしまってなかなか前に進めない。足を持ち上げては踏み抜くの繰り返し。イバラだけでなくさらに強烈なトゲトゲ(タラの木?)もあったりして、本当に悪戦苦闘とはこのことだ。

 

 

しばらく直登したあと、藪の密集度が薄くなっている右にトラバースして行く。伐採された木が握った後に抜けたり折れたりしないか確かめながら登って行くと、砕石場の際に出た。

 

 

 

高速道路や国道から見ると、稼働している様子は伺えなかったが、上から見ると一団の大きな工場施設になっている。その施設の中を大型のダンプや重機がたしかに忙しなく動いていた。

 

 

 

下から見える段々になった斜面での採石は終わって、北側がかなりの規模で掘り進められている。一体どこまで裾野がなくなっていくのだろう?

 

採石場の際からは樹林帯の中の急登となる。木の幹には古い赤テープが残っていた。以前からの南尾根のルートのようだが、ここから下は削られ分断されているので、私たちを含めてよほど物好きでないともう歩かれることはないだろう。

尾根に安山岩の露岩が現れしばらくするとこのプレートの掛かった、天霧山からの登山道に飛び出した。

 

 

 

登山道を北に向かって本丸跡から三角点へと歩いて行く。山名標にはかわいいワンちゃん。途中の『天霧城跡』と彫られた石柱は折れてしまって木に括りつけてあったが、まるで人質にとられているように見える。

三角点は 四等三角点 天霧山 360.08m

 

 

 

 

三角点からは折り返して次の弥谷山を目指す。天霧山名物?の犬返しの険の道標は新しく立派なステンレスの道標になっていたが、古い道標はその足元に転がったままだった。その急坂にはトラロープがまるで蜘蛛の巣のように張り巡らせていた。

 

 

犬返しの険を下りきりしばらく進むと、地積図根三角点がある。調べてみると測量の際に使われる非常に精度の高い基準点となっているが、どういう使われ方をするのかは皆目・・・・。

 

 

さらに進むと多度津白方(海岸寺弥谷寺へのへんろ道が南北に続いている。以前に山楽会の山の会で白方から歩いた事があるが、今はけっこう荒れているようだ。ここでも立派な道標と大日如来とお地蔵さんの二体の石仏が立っていた。

 

 

分岐を過ぎると弥谷山への登りになる。じわじわダラダラと登坂が続いていく。額からの汗が鼻先からポタリポタリと落ちる。途中で北に続く道と尾根に続く道に分かれた場所で間違えて北の道を進んでしまう。(尾根の道の方がわかりづらい)

その分岐では何故か赤テープが何枚も剥がされ落ちていた。尾根の道でもピンクのテープが何カ所もはがされ落ちている。

『剥がした人はどうして回収せずにいるんだろう?』と奥様と話をする。

 

 

弥谷山山頂は木々に囲まれて展望は全くない。ここまでの登坂でたっぷりと汗をかいた。上着のソフトシェルの背中も結構濡れている。ここでは山名札の横にはカエルが座っていた。

『ここでお昼にします?』と奥様が言うので、『します?じゃなくて、したいです!』ですねと答えて、二人ともカップ麺でお昼ご飯にする。

 

 

弥谷山からは緩やかなアップダウンが続き、少しづつ高度を下げていく。途中で何カ所かで鉄塔広場にでる。この鉄塔は詫間の東洋炭素と丸一鋼管への電力供給の支線となっている。

 

 

 

326mの標高点は弥谷西峰と山名が書かれて、新たなYAMAPの山頂ポイントになっていた。これで今日は少なくとも1カ所ポイントが増えた。その326mの前後で南側が展望台になっている場所がある。ひとつは目の前に善通寺五岳、もう一ヵ所は三豊ののどかな田園の景色が広がっていた。

この西峰ではリスちゃんが置かれていた。

 

 

 

 

その二つ目の展望所にはここから見える山並みの山名が書かれた写真がある。その写真には志保山と真平山との鞍部の奥に石鎚山が見えると書いてある。薄くガスの上に浮かんで見えるのが石鎚山だろうか?

 

 

展望所からも小さくアップダウンが続いていく。落ち葉の積もった道はカサカサと歩く音が聞こえて、今の初冬の雰囲気が感じられて心地いい。

 

黒戸山の直下にも展望所。先ほどの支線の供給先の東洋炭素と丸一鋼管の大きく広い工場が見え、その奥に詫間の街並みが続いていた。

 

黒戸山山頂には以前に比べるとたくさんの山名標や案内板が掲げられていた。ここには今まであった可愛い動物たちが見当たらない。

そのかわり以前からあったキティー山岳会のプレートは、隅の方の木にあまり目立たずにかかっていた。このプレートは以前は割れていて、WOC登山部で来た時にセニョさんがCD盤を裏当てして補修したプレートだった。今もまだ健在で一安心。

 

 

 

四等三角点 黒戸山 299.30m

 

黒戸山からも一旦引き返して保谷への道を下って行く。以前からこの道は九十九折れの急坂で、特に曲がりぱなが急な斜面になっているので注意が必要だ。

 

 

 

九十九折れの道が終わると一旦右に向かって道が続いていく。谷筋へと降りて行く道だが、谷筋まで降りると少し道が分かりづらくなるので、テープを確認しながら歩いて行く。

 

 

谷筋からトチのツルツルとした落ち葉で滑りやすい道を抜け、最後の鉄塔から一段降りると猪避けのある場所に出た。ゲートを開け通った後戸締りをして、車をデポした場所まで県道を歩いて朝にデポした場所まで戻って行く。

 

この一年西の奥様から度々聞かされた天霧山の南尾根。その半分以上は削られ表土や岩が露わになっていたが、念願の斜面を実際に登る事が出来て、今年の締めくくりに相応しく大変ご満足のご様子の奥様と笑顔で別れた。

 

 

今日のYAMAPの活動日記。

yamap.com

 

繋いでつないで小豆島!

 

先週歩いた太麻山から東に中山峠に降りると、地形図にはそこからさらに東にある段山へと破線が続いていた。

さっそくYAMAPで調べてみると、二年前に『すぎちゃん』さんが馬の背から三笠山・四方指、そして段山まで歩いて池田港へと下っていた活動日記が目に付いた。

そのルートを逆に辿って中山峠から段山、そして以前に西の石門目指して四方指から歩いた『中山みち』の峠まで歩くと、土庄から星ケ城山まで小豆島の中央部が一気に繋がる事に気が付いた。

先週の帰りのフェリーの中でその話をすると、『線を繋げる』のが大好きな西の奥様は、もちろん即OKの返事がかえってきた。

それならと土庄から島バスの中山線で『奥中山』まで乗り、そこから段山・中山みちまで歩いて、西に続いている破線を辿って中山へと下って周回して、また今度は『中山』のバス停でバスに乗り込む計画を立てた。

ただし問題は島バスの時間だった。朝は8時57分に奥中山に着き、帰りは中山から13時57分のバスに乗らないと次は17時57分まで便がない。

歩行距離は12kmあまりで下道歩きが多いとはいえ、すぎちゃんさんの活動日記によると、段山の直下の道が崩れてかなり荒れていると書いている。その荒れようが分からないので段山までの時間が読めない。13時のバスに遅れるとそこから+4kmで池田港まで下道歩きとなる。

今回は時間と段山までが勝負?のカギとなる。そう奥様に話をして出かけて来た。

 

 

いつもの駐車場からフェリー乗り場の途中にあるサンポートの多目的広場では、クリスマスのイベントがあるのか、ステージと出店のようなものが並んでいた。

 

出航した高松では曇り空だったが、小豆島に近づくにつれ青空が広がってきた。ただ風の影響か立つ波は今までのなかでは一番荒れた様子だった。

 

 

8時20分に土庄港に着き、8時25分発の中山線西回りのバスに慌ただしく乗り込んだ。時間帯が通学時間なのだろう、バスには中央高校の女子高生が乗っていた。島でも今時の女子高生、けっこう派手な化粧をしている子がいる。女子はバスだが、その横を男子生徒は坂道を必死で自転車を漕いでいた。

奥中山のバス停に降り立ち、道の横で身支度を済ませてYAMAPとスーパー地形図のスタートボタンを押して歩き始める。バス停は峠を少し下った場所だったので、峠まで少し登り返して水道施設の階段の向かい側から山の中へと入って行く。(ダンプの奥)

 

 

取り付きから意外と道の幅は広く、作業道か林道のような雰囲気だったが途中にはお地蔵さんが一体立っていた。そうすると昔は人の往来があったという事になる。

 

 

二股に分かれた道はシダが茂った方向に歩いて行く。シダの茂った道は直ぐに終わり、

また落ち葉が積もった歩きやすい道になる。

 

 

それにしても道幅が広すぎる。車が走れるくらいの幅で道は続いていく。地形図では峠からしばらくは破線だが、途中から実線に変わっているので、峠から段山への作業車が走るための道だったんだろうか?ただそのお陰でしばらくの間は楽々歩いて行ける。

 

地形図では標高320m辺りで道は二股に分かれていた。すぎちゃんさんが下って来た道は左の道。そのトラックを辿って左に進んで行くと急に道には大きな石がゴロゴロし始めた。段山の北西端に続く道だが、ここから先で『ルート不明・崩壊してぐちゃぐちゃ』そして『ルートが消滅』ともすぎちゃんさんは書いていた。

 

峠からはすでに45分近く経過していた。計画では段山まで2時間程度かかると予想していたが、それだと残りの時間がけっこうタイトになってくる。

道の右側を見てみると崩れて段差がなくなっている。地形図を見るとここから段山までおおよそ100mの標高差だ。『ここから登れそうね』と、どうやら奥様も同じことを考えていたようだ。

 

 

 

ただ最初の内は崩れて流れて来た岩に足を置きながら登れていたが、次第にそんな岩もなくなり、傾斜もかなりキツくなってきた。掴まれる木もまばらになり、落ち葉の積もった急斜面は滑るわ滑る。踏み出した足が滑り、軸足も滑りなかなか前に進まない。

振り返ると奥様が『あ~』と言いながらずり落ちている。

 

 

 

それでも細い枝や埋もれて小さく頭だけ出した岩に、出来るだけ体重をかけないように掴まりながら何とか登って行く。

 

ショートカットを選んだのに予想以上に苦戦したら、次に今度は目の前に大岩壁が現れた。地形図には岩崖の表記はなく、事前に見た航空写真にも写ってはいなかった。

『こんなの聞いてないよ~』と恨めしく思ったが、じっとしていても時間が過ぎるだけだ。この上で等高線の間隔が広くなっている南側へ、岩壁に沿ってトラバースして行く。

 

 

 

考えてみるとこの段山は山頂部が平らで屋島と似た『メサ』の地形。当然山頂部近くは安山岩玄武岩からなり、硬い岩があるはず。屋島も市内から見ると山頂直下には岩壁が見えている。

馬の背からの寒霞渓に始まり、太麻山北面でも火山角礫岩の火山礫が風化で露出したゴツゴツした岩肌ばかりを見てきただけに、このツルツルした岩肌は新鮮だ。

 

 

振り返るとすっかり葉を落とした木々の間から池田の街を見下ろせた。

南へ岩の上に登ったり降りたりトラバースしながら進んで行くと、岩壁が終わり少しづつ小さくなった岩が堆積して登れそうな場所に出た。残りは数十メートル、岩の間を山頂に向かって登って行く。

 

 

するといきなり舗装路に飛び出した。冷たい岩肌が続く中から青空の下に出てなぜだか解放された気持ちになる。

後ろから奥様も『やった~!』と言いながら登ってきた。

峠からは1時間30分。予定していた時間より30分何とか短縮できた。

 

 

別荘地の空き地を利用した太陽光発電のパネル越しには、土庄の大余島から続くエンジェルロードが見えた。

 

山頂部は麓からはほぼ平らに見えていたが、緩やかだが登り下りの道が続いている。

別荘地として開発された道は区画になっていて、GPSを見ながら今日唯一のYAMAPのポイントの段山へと歩いて行くと。ポイントには石柱や山名標などはなく、木の幹にマジックで書かれたプラスチックの札があるだけだった。

 

 

 

 

ほぼ住人のいなくなった別荘地だが、朽ち始めている建物もある中で、比較的きれいな別荘もまだ残っていた。

 

 

 

 

そんな別荘群を眺めながら歩いて行くとこの段山の中心地、かつてはホテルやテニス場温水プールそしてリゾートマンションのある小豆島ヴィラに着いた。

このマンションは麓からでもすぐにわかる高層マンション。マンション前のロータリーからは、対岸の同じメサ地形の屋島とその右には高松の港湾地区が見渡せた。

 

 

 

マンションの横にはかつてはレストランらしい建物が建っていた。正面に来てみるとそこには『セルフレストラン』と書かれた看板が掲げられていた。

中に入ってみるとカレーやスパゲッティにたこ焼きといった自動販売機が有り、その前に温め用の電子レンジが置かれていた。自販機で買ったあとにレンジでチンして食べる、たしかにセルフレストランだが、いったい誰がここまで来て食事をするのだろうか?『不思議ねえ~』としきりに奥様が言っている。

 

 

小豆島ヴィラをあとに今度は北東端の『中山みち』の峠の取り付きへと、GPSを見ながら歩いて行く。

すると取り付きのすぐ近くに620mの三角点が載っている。『時間が気になりますがせっかくなので三角点に寄ってみましょう』と奥様に声をかける。

 

着いた場所は見覚えのある施設だった。

8年前にWOC登山部の皆さんと吉田山に登った帰りに車でここまで来て、三角点を訪問した場所だった。三角点マニアのセニョさんの希望で寄ってみたのだか、GPSには三角点が間違いなくこの施設内にあるのに、建物の周りをいくら探しても見当たらず、かなり時間をかけたのだが諦めて帰った場所だった。

 

 

その後帰って調べてみると、どうやら三角点は建屋の上にある事が分った。

まずは浄水施設の上に登ってみるがそれらしいものはなく、ふと管理棟を見てみると、何やら怪しげな筒が見えた。

 

 

浄水施設の梯子を下りて、その先の管理棟の梯子を登ってみると『ピンポン!

三等三角点 角ケ鼻 620.3m  『セニョさん~、こんな所にありましたよ!』

 

 

 

屋根の上からは今日一番の絶景が広がっていた。

南には田ノ浦の半島が白く輝く瀬戸の海に浮かんでいるように見え、視線を東に振ると、昨年歩いた洞雲山から碁石、そして一番思い出の多い大嶽の峰々が見下ろせた。

さらに左を見るといつかまた登ってみたいと思っている拇岳が『いいね!』と指を立てているのが見える。

 

 

 

 

 

絶景を眺めた後は先を急ぐ。別荘跡地にはその名残の看板や古く錆びた消火栓が所々で立っていた。

段山の北東端まで来ると、大きな廃タイヤの横からさらに北東に分け入る道が続いていた。

 

 

 

しばらくは緩やかな下り坂が続いていく。

この道も峠からの道と同じように車が通れるくらいの道幅がある。以前に歩いた『中山みち』の峠の辺りはかつては栗畑になっていたそうだが、そこへの段山からの作業道かもしれない。

 

 

 

時間は11時30分を回っていた。『そろそろかな~』と思っていたら案の定奥様が『お腹が空きませんか?』と聞いてきた。

『どこか日当たりが良くて風がない場所でお昼にしましょう』と答えて、適当な場所を探しながら歩いて行くと、比較的風がなく陽だまりの場所があったのでお昼ご飯にする。『食事の時間は10分だけです!』と言うと『え~カップ麺ができるのに今日のカップ麵は4分かかるからほぼ5分で食べないと』と少し不満そうだ。

 

本当に10分で食べ終えて、『中山みち』の峠へと向かう。食事の場所からは道も荒れていなくて25分ほどで峠に着いた。

峠には見覚えのある石碑とお地蔵さん。石碑には『中山みち』と彫られている。

 

 

 

その少し先には『窓』『四方指』と書かれた道標が立っていた。ここから『窓』へと降りて途中で南に岩壁の下を歩いて行くと『西の石門』がある。

 

 

 

峠の周りは平坦地になっていて、やはりこの辺りが以前は栗畑だったのだろう。水貯めの堀の様な場所から配水路のようなものも見えた。

 

 

引き返してして途中から西に向かって谷筋を下って行く。こちらも地形図では実線になっていて、道路の名残の石垣が残っていた。

ただし道は荒れ放題。どこからこんなに石が落ちてくるのだろうと思うくらいの数の石が散らばっていて、ガタガタと避けながら歩くのでスピードが上がらない。

 

 

 

 

それでも何とか20分ほどで舗装路に出た。道の脇の下手には木々の間から中山池の湖面がチラチラと顔を覗かせている。

もうここまで降りてくるとバスの時間には何とか間に合いそうだ。

 

この中山池下流新中山池、さらに下には殿川ダムがあるのだが、小豆島は度々渇水に見舞われる島なので、治水と用水の為のため池のようだ。

 

新中山池突堤からは谷あいの奥に白い大きな大観音が見えた。先ほどの小豆島ヴィラと同様に、この大観音も色々な場所から見える島のシンボル的存在だ。



 

 

下流にある殿川水天宮に架かる赤い橋を横目にさらに歩いて行くと、きれいな石垣が積まれた棚田。

 

 

 

殿川ダムの先からは観光地にもなっている中山の千枚田が見えた。川淵から斜面には何十にもなった棚田。

 

 

 

中山みちの分岐からは1時間15分で『中山』のバス停に到着。

これで計画通りに土庄から星ケ城山までが繋がった。残りは星ケ城山から千羽ケ岳を経由してまで降り、から大嶽まで繋げられれば完璧だ。

土庄へのバスの中から車窓には瀬戸芸の作品が見えた。海外からも今年は瀬戸芸目当てにたくさんの観光客が訪れる中で、いっさい目もくれずにひたすら山ばかり登っているおっさんとおばさんだった。

 

 

 

次にまた小豆島を訪れるのは来年だねと話をしながら、クリスマスムードのサンポートを後に帰路に着いた。

 

 

今日のYAMAPです。

yamap.com

先週の太麻山北壁で見たあの尖峰に立てるのか?

 

今週の物語?の始まりは、先週歩いた後にネットで見つけた、太麻山の北壁の先にあった尖峰の頂に立つ二人の写真だった。その写真には『ここはスリル満点のはしごを渡ればたどり着く場所。最高の景色が見渡せます』と書かれていた。

https://shodoshimacamera.com/post/104357326937/

 

頂にはロープが垂れていてそれを見ながら『果たして登れるのかな?』と先週二人で話をしていたのだが、実際に頂に立つ二人の写真を見てしまっては、自身の目で見て登ってみたいという気持ちが抑えられずにいた。もちろん西の奥様も・・・・。

 

そなるとどう歩くか。せっかくならと考えて、1月にWOC登山部のメンバーと皇踏山を歩いた時のスタート地点の『小馬峠』から太麻山へ登り、そこから東の中山峠まで歩き、さらに次に中山峠から段山を経由して『西の石門』に歩いた時の峠まで繋げれば、

小豆島の中央部が一気に繋がってしまう。

その計画を西の奥様に話をすると、もちろん尖端好きで『線で繋げる』大好きな奥様からは、即了解の返事が返ってきた。

 

先週は池田港行きのフェリーに乗り込んだが、今日は土庄行きの7時20分発のフェリーに乗り、フェリー乗り場からタクシーでスタート地点の小馬越に移動する。(小豆島バスの北回りは便数が少なく乗り継ぎにはかなりの時間待ちになるので)

 

途中タクシーの運転手さんからは、交差点の角にある建物の前で『かどや製油』の名前の由来を教えてもらい、そのあと小馬越から太麻山に登る話をすると、『イノシシには気をつけてくださいね』と注意してくれた。

運転手さんは前職の船乗りをしていた時に、海を渡ってくるイノシシを何度も見たそうだ。小豆島では一度イノシシは絶滅したそうだが、そうやって海を渡ってきて増えていったのかもしれないとも教えてくれた。

小馬越からYAMAPとカシミールのGPSのスイッチを入れ、今来た道を少し引き返す形で県道を下っていく。

 

 

途中で県道の脇から妙見神社へと下り、伝法川に架かる小さな橋を渡って向かいの砕石場へと入っていく。砕石場のかんかん場と事務所の間を通ってさらに先へと登っていくと民有地の林道になる。

 

 

その道をしばらく歩くと、道の脇の木の根元に赤白のテープを巻いた棒切れが立っていた。よくよく注意しないと見逃しそうになるが、ここから谷筋を登っていく。

ただし道ではなく踏み跡もない、ゴロゴロ石が転がった中を登っていく。よ~く見ると布切れが木の枝に垂れているが古くて分かりづらい。そんな布切れとは別に、最近巻かれたテープもあるので、目印にして登っていくのだが、とにかく靴底で石が動いて歩きづらい。

 

 

 

谷筋から右手に尾根らしいラインが見えたので、それに向かって登っていくと砕石場の上部に飛び出した。

すると少し先に黒い大きな動物が砕石場から山の中へと入っていった。『イノシシだ!』と思わず声が出る。

そのイノシシは直ぐに山の中へ入って行き姿は見えなくなったが、しきりに甲高い声で鳴いている。今まで聞いたことのないような悲鳴に近い鳴き声だった。しばらくするとその鳴き声と私たちの間の山の中で、かわいらしい鳴き声が聞こえてきた。

どうやら母イノシシが砕石場まで降りて餌を探していたのだが、ウリ坊と逸れてしまって、しかも我々が現れたので、しきりにウリ坊に向かって鳴いているようだった。

その母イノシシの鳴き声は、小さく鳴いているウリ坊の方へと近づいているが、もちろん我々の方へも近づいて来ている。慌ててストックを鳴らして喚起するが、まったく鳴きやまない。

 

 

事前にこの辺りを歩いた人のダウンロードしたルートは、このまま上に向かって歩いていたが、母イノシシはまだウリ坊に会えないのか、どんどん近づいてきている。このままルートに従って登って行くと鉢合わせになりかねない。

仕方がないのでルートから外れて東に向かって適当に登っていくが、まだ母イノシシは鳴きやまない上に近づいてきている。するとまた別の場所からウリ坊の鳴き声も聞こえてきた。『早くお母さん、赤ちゃんを見つけて!』と奥様。

石交じりの柔らかい急な斜面はズルズルと足が滑って歩きづらい。こんな所でイノシシがやってきたら逃げようもない。頭の中で『岩の上に上がったらいいのか、木に登ったらいいのか?』色々と考えながら、とにかく鳴き声から離れようと、東に東にへと登っていく。

 

 

しばらく登っていくと突然支尾根らしい場所に出た。しかも木には赤いビニールが垂れている。足元がしっかりすると少しは気持ちが落ち着いた。そして母イノシシの声も、ウリ坊を見つけることが出来たのか聞こえなくなってきた。

見上げるとウバメガシの木の枝の間から、逆光の中に尖峰のシルエットが見えた。『ひょっとするとあれが目的の尖峰かもしれません?』と奥様と話をする。

 

 

支尾根には上に向かってテープが続いていたので登っていくと、目の前に大きな岩壁が現れた。火山礫岩の岩肌には太い木の根がその岩肌に同化したような色で張り付いている。

しかも上から垂れているのではなく、下から岩壁を這うように登って行っているように見える。ということは根っこではなく蔓なのだろうか?それにしてもなんて太い蔦なんだろう!

 

その岩壁を左に巻いて足元をトラバースして行く。するとハートの形をしたこれも蔓だろうか?

できるだけ水平移動していくのだが場所によっては上がり下りを余儀なくされる。

 

 

 

しばらく上に下にと歩いていると岩壁と岩壁の間に空が覗いていた。その上部にには薄く岩塊のようなものが見える。『あそこが尖峰かもしれませんね』『一応登ってみます?』と奥様に話をして登ってみるものの、かなりの斜度でその上掴めるものがほとんどない。ところどころで小さく露出している岩に足を掛けながら登っていくが、最後はほぼ垂直に近い状態になった。火山礫岩で固く、足を掛けても握っても取れることはないのだが、これ以上は登れないと判断して降りていく。

ただ降りるのも一苦労。木の根と岩が頼りだ。さすがの奥様も随分と苦労している様子だ。

 

 

 

 

何とか奥様も下れて安堵する。その岩壁の足元を回り込むと今度は編み込みのような木?蔦?その奥には何カ所も岩壁に穴が開いている。長い年月で風化するにしても、どうしたらこんな洞窟みたいなのができるのだろうか。本来の目的の尖峰は一向に現れないが、この小豆島でもいままで見たことのないような植物や地質が見られて、ほんとうに今日は楽しい!

 

 

この大きな岩塊は風化したのだろうか?火山の噴火の際の噴出物なのだろうか。巨大な岩塊の周りに岩がおどろおどろしく突起していて、何とも言えない不思議な形をしている。

 

周りが岩壁や岩塊で灰色の景色が続く中で、時々彩りがまだ残っていてホットさせてくれる。ここまでほぼテープ類はなく、とにかく地形図を見ながら記載されている岩壁の下に沿って、岩壁から離れないように歩いて行くがやはり水平移動は困難で、相変わらず上り下りが続いて行く。

 

 

 

 

途中でまた見上げると岩塊らしいシルエットが見えたので、試しにそのシルエットに向かって登っていくものの、倒木だらけの竹林にここでも前に進むのが困難になりまた引き返す。いまだあの尖峰には対面できていない。

すると突然岩肌に斜め上に向かってロープが垂れていた。一段上にかかったロープは、この小豆島で何度も見た黒い太いロープだった。ここまでずっと疑心暗鬼で歩いてきていただけあって、ここからは歩いた人がいることが確認できて胸をなでおろす。

 

 

 

そのロープ場を登りきると、なんということでしょう、随分遠くにあの尖峰が堂々と立っているではないか。しかも今の場所からするとまだけっこう上の方だ。

どうやら我々が歩いてきたルートは、かなり下の一段下の岩壁の足元をトラバースして来たようだ。

しかもこちら側からみると尖峰の岩はほぼ垂直だ。

後ろからロープ場を登ってきた奥様も『えっ、あんなとこ!』と驚きを隠せない。

 

目の前の尖峰を眺めながらふと疑問が湧いてきた。あの尖峰の上で二人が立つ写真には『スリル満点のはしごを渡ればたどり着く場所。最高の景色が見渡せます』と書かれていた。

最初はあの岩壁にハシゴが架かっているのだろうと思ったが、今目の前のあれだけの高さをハシゴが掛かっているのは考えられない。先週正面から見た時もそれらしいものはなかった。

しかも文章はスリル満点のハシゴを渡ると書いていて、登るとは書いていなかった。

そうなると先週我々が眺めた左手の対岸と、あの垂直の岩壁との間に渡れるハシゴが架かっていたということだろうか?考えただけでもスリル満点ではなく危険なハシゴだ。

 

 

奥様とそんな話をしながら岩尾根を少し登ると目の前にまた高い岩壁が現れた。

一瞬行き止まりかと思ったが、そこから西にはきれいなトラバース道。左にはテープが続いているのが見えた。

本来の岩壁直下にはちゃんとしたトラバース道があったのだった。我々はやはりその岩壁のさらに下を右往左往しながら歩いて来たのだった。

 

 

 

そのトラバース道の方向を見ると大きな縦に割れた穴が見えた。確か先週尖峰の対岸で眺めた時に見えた縦穴に間違いがない。今我々が立っているのは矢印の場所のはずだ。

 

 

ここが今日一番の眺めのいい場所のようなので、お昼ご飯にする。

カップ麺を食べながら二人で今日の反省会。結論としては『最初にあのイノシシに合わなければ、ちゃんとした岩壁直下を歩いて来れた』という事になった。

次はぜひ間違わずに歩いてあの尖峰に登れたら・・・。それが難しければあの尖峰を果たして登れるのかの、様子だけでも見にリベンジしたいと二人で話し合う。

岩尾根の先からは裾野がオレンジ色に染まる皇踏山と朝タクシーで走ってきた土庄からの道が眺められた。

 


お昼を食べた後の東へのトラバース道は、今までの苦労は何だったんだろうと思うようなちゃんとした踏み跡がついていた。そして踏み跡が薄くなってもテープはしっかりと付けられている。相変わらず大小の岩が張り付いた岩壁も続いて行く。

 

 

 

まだトラバース道は続いていたが、ダウンロードしたルート図では途中から太麻山に向かって岩壁の間を登っていた。両側に岩壁が迫る谷筋に『まるで梶ケ森ゴロゴロ八丁のようね』と奥様。たしかに狭い岩壁の間を大小さまざまな石が堆積し転がっていたが、その岩壁の地質は少し異なっていた。

ここでは火山礫岩らしい今にも落ちてきそうな大きな岩が、垂直の岩壁に張り付いているし、足元の踏み跡は石に埋もれてまったく無く、所々に見えるテープを目印に登って行く。

 

 

 

 

 

 

 

かなり上部まで登り詰め岩壁が次第に低くなってくると、例のあの黒いロープが目についた。ロープを使って左上の尾根らしき場所へと登って行く。

 

そのロープが終わり尾根に出ると比較的緩やかな広尾根になった。ちょうど太麻山山頂の北側になり、広尾根の端からは小豆島大観音笠ケ瀧霊場が見下ろせた。

 

 

 

しばらく灌木の中、テープを辿っていくと木の幹に掛かった道標。ここからは先週歩いた道になる。踏み跡を辿って行くとこんもりしたピークの上が太麻山山頂だった。

二等三角点 蒲生 477.23m もちろん今日の最高地点になる。

 

 

 

ここからはいったん先週竜水寺から歩いて来た道を辿って行く。途中にある石仏で左に折れると中山峠への支尾根になる。先週はここで山頂まで今来た道の方が分かりづらく、支尾根の方がはっきりとしていて間違いそうになった場所だった。

 

 

 

支尾根はウバメガシを搔きわけるようにして道が続いていた。そして足元はその小さなツルツルとした落ち葉で埋め尽くされていた。

途中で何カ所かは尾根の端から景色が見えた。池田港の奥には三都半島の峰々が続いている。

 

 

 

尾根は小さく何回かのアップダウンをしながら続いて行く。途中から周りの木々はウバメガシからクヌギへと変わっていくが、下りだと相変わらず足を滑らせる落ち葉だった。

 

 

 

 

一カ所だけあった岩場を右に巻いてみるが、結局その岩に登ることになる。このルートをダウンロードした人はこの岩場が一番怖かったと書いていたが、高さもさほどではなく、足元の岩も全くビクともしないので足がかり手掛かりになって、奥様は慣れた手つき足つきで登って降りた。

 

 

道には先週の高壺山からの道のようにシダが現れた。最初のシダの高さは大したことはなかったが、次の335mの標高点を越えて現れたシダは、背丈ほどでシダの海になっていた。

 

 

 

その手前から灌木の中の道が続いていた。踏み跡は薄く、どれくらい前に付けられたか分からないくらい、色褪せて巻かれた木と同化したような布切れが所々で垂れていた。

場所によってはチェッック柄や縞模様の派手な柄の布切れもあった。

 

 

中山峠に14時までに着けば、下道を下って池田港までには1時間ほどで着けると考えていた。そうすれば15時30分のフェリーに十分間に合う。

そう思いながら灌木の細い枝が顔に当たったり、蜘蛛の巣がまとわりついたりしながらも、太麻山山頂から1時間20分ほどで14時前に峠の切通に降り立った。

 

 

峠にあった開拓の碑とお地蔵さん

 

池田港まではおおよそ4km。町まではほぼ下り坂で時間的には余裕があるので、のんびりと光り輝く瀬戸内を背にした池田の町を見下ろしながら歩いて行く。

 

 

池田の町に入り振り返ると平らな山頂の段山が見えた。その中央部には今は廃墟となった小豆島ヴィラの頭を少し出した建物が見える。

『次はさっきの峠からあそこへ登るのね。絶対に線を繋げましょうね!』と奥様が意気込む。

 

池田湾まで来るとフェリー乗り場の太鼓台を模した建物が、輝く空と海との間でシルエットになっていた。

時間の余ったフェリー乗り場からは先ほど見た時よりも段山がさらに平らに見えた。来週は中山峠から登って段山、そして窓の分岐から今度は中山地区を下って周回する計画だが、小豆島バスの中山線のバスの便が少なく、果たして12kmほどの距離を、バスの時刻(13時57分)に合わせて山を下ることができるだろうか?

そう思いを巡らせながら到着したフェリーに乗り込み池田港をあとにする。